文章ってセンスじゃないの?
他人と比較すると、良いことはない。
僕は、文章が得意ではない。
なのに、こうやって、noteを書いている。
そもそも、文章にはどういったスキルが必要だろうか。
なんて思う人が多いと思う。
そう、文章力は、適切なノウハウで努力をし、実行することで、育つ。
PREP法を使おう!
AIDMAの法則を使おう!
ホールパート法を使おう!!
なんて、いわゆる読みやすい文章には、型がある。
これ、大事なんですよね。
こういった基礎の力があるかないかで、文章は、読みやすいかどうかが変わる。
しかし、思うんです。
やっぱ、文章ってセンスじゃないの?と。
文章ってセンスじゃないの?
文章ってセンスだと思うんです。
こういったセンスって、多分育てられないんです。
いや、正確には育てるのが難しい、ということなのだと思うんです。
そして、文章力に上げるには、センスを育てろ!と言われてもほとんどの人は困る。
だから、わかりやすく文章の型などを教えてくれる人は多いのだと思う。
でも、多分、センスだ。
文章はセンスだ。
僕は、これを嫌というほど、目の当たりにしている。
noteを始めたばかりのセンスある人
先日、noteを始めたばかりの、ある人の記事を見た。
記事も10記事くらいしかなかったし、そのどれもが、スキも少なく、反応はあまりもらえていなかった。
しかし、面白かった。
文章の型とか、適切なノウハウを学んでいないであろう、その文章がとても面白かったのだ。
合間合間では、よくわからないギャグを入れていたり、よく分からない言葉を使っていたりしたのだが、それでも面白かった。
何なのだろうと、不思議だった。
多分、その記事を文章のプロが見たら、ボロクソ言うと思う。
しかし、何度も言うようだが、面白かった。
これが、センスなのだろう、と思った。
正直嫉妬する。
羨ましいと思う。
真似できないんだよな。
こういった、センスというのは、真似しようがない。
だから、言わない。
文章に向き合ってきた人であればあるほど、文章にはセンスが必要だ!なんてことは言えない。
センスがない人にとって、この言葉は残酷です。
しかし、向き合おうと思う。
無駄だろうがなんだろうが、その方がいいよね。
おしまい。
サポートされると、僕が喜びます。僕が喜ぶと、文章のノリがポジティブになります。