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誰かに愛されている人は、誰かに嫌われている人

フラットな自分でいたいと思う。

どうですかね。
みんな、自分のキャラをその場その場で切り替えていますかね。

  • 会社の自分

  • 友達と過ごす自分

  • 家族の前の自分

  • 一人きりの自分

自分では分からずとも、無意識に切り替えている人は多いと思うんです。

自分のキャラを切り替える。
その場その場に適した自分に切り替える。

特に会社や仕事ではそうかもしれませんね。
僕は特にそうで、仕事中の自分とプライベートでの自分の違いがひどかった。

いわゆる内弁慶ってやつですかね。
会社では大人しい良い人を気取っているけど、プライベートでは割りと身勝手な人物。

それが僕でした。

そんな風にその場その場で自分のキャラを切り替えていると何がしんどいかって、精神的にしんどくなるような気がするんです。

無意識とはいえ、仕事の自分、プライベートの自分を切り替えているとしんどくなる。

特に僕のように、2つのキャラの自分があまりにも異なっていると更にそのしんどさは大きくなる。

だから、この垣根をできる限りなくしたいんですよ。
そりゃね、全部をなくすのは難しいかもしれないけど、この垣根をできる限りなくすことで、自分の精神が安定するのではないかな、と思うのです。

というのも、最近の僕はこの垣根が少しずつ無くなっているから言っていることなんです。

今までは仕事の自分と、プライベートの自分というのは、全く違うキャラで動いていた(と思っていた)わけですが、これまた無意識的にこの差がなくなってきた。

理由はわからない。
いい加減、そのキャラわけに疲れてきたからなのかもしれないし、会社でどう思われうようが、どうでも良くなってきたという部分もあると思う。

いい意味で周りの目が気にならなくなってきたのかもしれない。
まぁ、なにはともあれ良い傾向だ。

で、こんな風に仕事とプライベートでのキャラの違いがあまりなくなってくると思うことがある。

めちゃくちゃ楽だな、って。
楽なんですよ。

仕事でも普段の自分。
プライベートでも(当たり前だが)普段の自分。

でいると、生きるのが楽になる。
誰にも気を使わなくてもいいですしね。

そうなると不思議なもんで、仕事での人間関係も良くなってきている気がするんですよね。
いつも通りのフラットな自分でいると、なぜか周りとも普段よりコミュニケーションが取れる。

…じゃあなんで今まではそうやって、自分のキャラを演じ分けていたのか。

愛されないと思っていたんだろうな。
プライベートの自分に自信がなくて、そのままのキャラでいると愛されないと思っていたんだろうな。

だから、無意識的に愛されるキャラ作りをしていたわけだ。
結局はその愛されるキャラと思っていた自分は、全く愛されていなかったわけだけど。

誰かに愛される人は、誰かに嫌われている人だ。

なんかの名言っぽいような気もする。
どこかで聞いたことがある気がする。

これが真理のような気もしますね。

愛されるためには、誰かに嫌われなければいけない。

これってなにも言葉通りのことではなくて、気持ちの問題だと思うんです。

みんなに嫌われないように、自分を押し殺そう…

と思っていると、誰にも好かれないし、

誰かに嫌われてもいいから、自分を押し出そう!

と思っていると、嫌われるリスクもあるが、その分、誰かに強烈に好かれる、というメリットがある。

これ、やるべきは後者ですよ。
なぜなら、メリットの方がでかいから。

自分を押し殺していると、精神的にもつらくなるし、実は誰からも好かれない。
自分を押し出していると、嫌われるリスクもあるけど、その分自分の精神は安定するし、誰かに強烈に好かれるという大きなメリットがある。

なら後者ですよね。
やるべきは後者です。

ということで、どんなときもフラットな自分でいようと思う。

長くなってきたので、おしまい。

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