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投げ出したくなる時ってどんな時

「…なーんかどうでもいいや!」

って思う時ってありますよね。
どうも全てを投げ出したくなる、自暴自棄になる瞬間ってあるんですよね。

これ、なんなのかな、って。
なんでこんな感情になるときがあるのかな、と思うんです。

果たしてこの理由はなんなのか。

  • 熱量がなくなった

  • 単純にめんどう

なんて感じかな。
まぁ、よくあることです。

なにかを達成したいときなんてのは、上記の2つが主な理由でくじけてしまう場合が多いです。

熱量って次第に無くなるってパターンが多いですしね。

「どうしても僕はこれを叶えたいんだ!!」

って躍起になっていても、どこかでなにかのタイミングで冷めてしまうときって、誰しもあると思うんですよね。

じゃあどうしてこの熱量が無くなってしまうのか。
これは、次の『単純にめんどう』が強いパターンが多いのではないかと思う。

結局めんどうなんですよね。
なにかを叶えたいという熱量より、めんどうだな、と思う感覚が強くなると、どうしてもそれ以上先に行くのが困難になってしまう。

  • 努力すれば届くかもしれない夢

  • 夢を叶えるために必要な努力の量

この2つを天秤にかけた時、後者の『必要な努力量』を多く見積もってしまって、投げ出したくなる。

なんで投げ出したくなるかって、まぁ、めんどうだから、ですよね。
努力するのがめんどうだから。

努力をすれば叶うかもしれない。
だけど、その叶えたい夢は途方もない努力の先にある。
努力とその夢が比例していないかもしれない。
…努力するのがめんどうだし、投げ出すか。

なんて感じですかね。

いや、この『めんどう』という四文字、考えてみると結構強烈な障壁ですよね。
このめんどうをどうにかするために、「習慣」なんてものが存在しているし、それに頼ろうとするわけですよね。

実際みんな、めんどうなんですよね。
ただ「めんどうだ、めんどうだ」と思っていてもなにも自体は好転しないわけで。

「世の中の大事なことって、だいてい面倒くさいんだよ」

宮崎駿

宮崎駿さんの言葉でこんなのがありますが、彼の場合はこんなことを言いながら結局やりきってしまうわけですけどね。

まぁ、みんな、めんどうなんですよね。
ただそこから逃れてもいいことなんてあんまりなくて。

『世の中の大事なこと』に、取り組んでいないと、結局損をするのは自分なわけで。

まぁ、やるしかないんですよね。結局は。
損したくないし。

なにをやるかというのは、まぁ人それぞれですよ。
ただ、めんどうだと思っている先にしか、自分が得になる道はないんだろうな、と思うんですよね。

あぁめんどうだ。
だけど、そんなの知ったことではない。

めんどうだと思っても、グッとそこから一歩入る。
この感覚が大事なんだろうな。

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