『人間は習慣の奴隷である』について
年末だ。
年末といえば、なにかと気分が浮かれる時期。
なんとなく羽を伸ばしたくなるし、テンションも高くなる時期。
のんびりするのもいいし、ここぞとばかりに意識高く勉強やら、副業やらをするのもいい。
よく言われているのは、後者ですよね。
なんてのはね、よく言われている自己啓発やら、コーチングですよ。
そうだね。
確かにそれもいいかもしれない。
だけど、どうなんですかね。
こうゆうときこそ、習慣に頼るべきなんじゃないですかね。
結局、『今こそ頑張ろう!!』とか思っている時点で負けなんじゃないかと。
本当に習慣が身について、日々努力できている人は、年末年始とか関係なく同じ努力ができるわけで。
そもそも習慣で努力ができるようになっている人は、それが努力と思っていないわけで。
だから、『今こそ頑張ろう!!』と、いつもと違う努力をしようとする時点でスタート地点から引き離されているような、そんな感じがするんですよね。
…あ、意識高い系の話しは苦手です。
習慣は大事だと思っていますけど、意識高い系の話しはどうも性に合わない。
できれば年末年始なんてのは、お昼からお酒でも飲んでダラダラ過ごしていたい派です。
でもね、ここで習慣がでるんですよ。
今だって、noteを書くことが習慣化されているから書いているわけで。
こんな言い方は良くないですが、もう書きたいとかそんな感じではなく、書かないと気持ちがわるくなっているから書いているわけで。
書いたあとはそれがどんな駄文であろうと、やはりスッキリするんですよね。
これが習慣です。
こんな言葉がある。
ググってみたり、ChatGPTに聞いてみたものの、誰の言葉かは定かではないようだ。
これね、奴隷という言葉は良くないですが、奴隷になるのも悪くないかな、と思うのです。
なぜならその方が気持ちがいいし、勝手に努力ができるようになるから。
さて、今日も奴隷根性で今から筋トレします。
お疲れ様でした。