〔小説〕朝起きたらアザラシになっていた その35~「すごい人」たち
※この話はフィクションです。実在する人物・団体名とは何ら関係ございません。100%作者の脳内妄想のみで構成されています。
はじめに
朝起きたらアザラシになっていた俺はアマゾンで取り寄せた『子供のまま中年化する若者たち』を手に取った。
もとい、アザラシなのでヒレにとった。
これを読むとこれまで何十何百人とお会いした、凄すぎて真似できない「すごい人」たちが頭をよぎる。
正直、俺は「すごい人」たちの真似を勧められても、謹んでお断りさせていただく。
「すごい人」の全体的な共通項
「すごい人」の全体的な共通項は
やさしい親に囲まれ、規範意識も希薄になり、自由になっているようでいて、閉塞感と不安を抱き、言われたことはこなすが、無理をせず、将来への努力もせず、保守化し、ますます、自分の小さな世界から、出なくなっているようだ。
2015年 幻冬舎新書 鍋田恭孝 『子どものまま中年化する若者たち』61ページより引用
こういった人たちは「自分の小さな世界」にファンタジーとオタクな趣味を持つ率が高い。
オタク趣味
俺もゲーム「信長の野望」「三国志」を入口に何十年ものめりこみ続け、コロナ禍でも三密を避けつつ自転車で東海道五十三次を旅行しては、司馬遼太郎の『街道をゆく』片手に史跡を訪問し。撮った写真が1万枚を超える筋金入りの歴史オタクである。
俺はコロナ禍が過ぎ去ったら、
ロンドンの大英博物館で古代エジプトの展示物を見て古代に思いをはせ、
フランスのベルサイユ宮殿を見て近代に思いをはせ、
ベルリンの壁記念館で残された壁を見て現代に思いをはせたい。
とまあ、俺は世界史が専門分野と思っているから世界史を見に行きたいほどのオタクなのだが、お会いした「すごい人」たちは「自分の中の小さな世界」から出ないのでコロナ禍前でも行動範囲はとても狭く、引きこもって約15年の人から
「世間はコロナで困った言うけど、オレなんともないよ」
とコロナ禍に振り回される社会と俺を冷笑する「すごい人」もいた。
そんな「すごい人」たちのエピソードをいくつか挙げてみる。
「すごい人」との歴史談義エピソード その1 桃源郷
ある日、「桃源郷」という言葉は三国志が終わって西晋が統一したのちに再び南北に分裂した南北朝時代に東晋の陶淵明が書いた『桃花源記』という話が語源であって云々…と話しを進めていたら、知人のAさんが「知ってます」いうので聞くと
「書物に乗っていない民間伝承が中国にあって」
というから。
「なんで活字になっていない中国の民間伝承を貴方がしってるの?」
「検索しても出てこない話をしてるのならその民間伝承は誰から聞いたの?」
「中華人民共和国の公用語に北京語があるけれど、北京語で会話したの?」
「口伝えなら中国のどの地域の誰が話したの?」
などと俺は質問したのだが
「よくわからない」
と言われ、吉本新喜劇のようにズッコケたのであった。
「すごい人」との歴史談義エピソード その2 共産主義と社会主義
ミリタリーマニアのBさんとロシアやドイツの話題をしていた時だった。
俺が728ページの分厚いものだから、かじった程度しか読んでいないトマ・ピケティ著『21世紀の資本』を映画やテレビで解説したものを元に近現代史の話をしたらロシアとドイツの好きなBさんは
「共産主義、社会主義はレーニン、スターリン、毛沢東が作ったんですよ!」
と自信満々にいうので
「共産主義と社会主義の定義は?」
「共産主義と社会主義の違いは?」
「それを3人が作ったのであればレーニン主義、スターリン主義、毛沢東と主義の特徴と違いを教えてください」
「それとなぜにトロツキーが抜けているのですか?トロツキーの世界革命思想はロバート・ケーガン著『ネオコンの論理』でも触れていますが、「全世界が〇〇主義になれば平和になる」という点がイラク戦争を推し進めたネオコン(新保守主義)と根が一緒じゃないですか。とても重要なのになぜ除外するの?」
と質問したら。
「え!?わかんない!何が違うの?おせーて!!」
言うもんだから、また吉本新喜劇ばりにズッコケたのであった。
「すごい人」との歴史談義エピソード その3 スンニ派とシーア派
オンラインゲームの好きなCさんはどういうわけかオンラインゲームもソーシャルゲームもしない僕と知人の会話に割って入るのがお好きで、イスラム国の話題をしていた時に。
「イスラム国の教義は口伝で伝わる密教みたいなものでスンニ派、シーア派どちらでもない」
いうから俺は
「スンニ派とシーア派の教義とその違いは?」
「イスラムで密教や神秘主義の類は踊念仏みたいなスーフィー、ほかの宗教とミックスしたあげく、輪廻転生まであるドルーズ派などがあり、これらをイスラム国は迫害している事実をどう説明するのか?」
「トップのバグダディはバグダッドで神学を学んでいるのだが、そこはスンニ派にとっては最高学府のひとつであり、自分の母校を汚すような行為をなぜするのか?そしてその情報ソースはどこからなのか?」
「なお、私はこれらの情報を教科書世界史A、図説資料集、ウォールストリート・ジャーナル電子版、大川周明著『回教概論』をソースに語っている」
と質問したら。
「え?何が違うの?ぜんぶわからん!おせーておせーて!!」
いうので、またまた吉本新喜劇ばりにズッコケたのであった。
おわりに
大多数はこんな発言はしない。これはごく少数のきわめて特殊な事例である。
しかし、俺は自分の文章や配信の過去アーカイブを見返すと無自覚に間違えてしまい、知ったかぶった底の浅い発言をしている。
それが悪化して永遠に一次資料を読むことも継続的に努力を積み重ねることもないであろう、まとめサイトとSNSの書き込みとユーチューブ動画だけでなんでも語れる「すごい人」たちにならないよう自戒を込めてこの話を書いている。
俺は西川きよし師匠が言うように「小さなことからコツコツ」とやっていく。
「すごい人」たちの特徴として学校や職場の集団行動、進学、就職活動やその他、毎日コツコツと地道に積み重ねて初めて結果の出るものや困難から逃げ続ける傾向にある。
それらを追及してもガラスのハートが傷つかないようどっちつかずの抽象論で逃げ続ける傾向も強い。
しかしアホでないどころか知能指数だけなら僕より高いので、無意識にビニールハウスで栽培された作物のように安穏しているが、「このままでいいのだろうか?」と問題点にも気付いている。
そして、現状を変える努力していないことも無意識ながら自覚しているために漠然とした不安を抱え続けているのだろう。
自覚していても主体性がないので行動をとらない傾向も共通する。
そうならないよう数値化した目標を抱いて今日も自転車旅行と景色の撮影をコツコツこなすのだった。
つづく。