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#103 やっぱり私は“コミュニケーション”という分野が好きなんだ

その事に改めて気付き、今胸がドキドキというか、ゾクゾクしています。

“人と話すこと”というイメージしやすい意味でのコミュニケーションというよりは、例えノンバーバルであっても人と人が通じ合っているその状態が好きなのだと思います。

例えばそれは、

スーパーでまだ言葉を発していない赤ちゃんと目が合ってニコッと笑うと赤ちゃんもニコッて笑ってくれるとか

海外で拙い英語を駆使しながら身振り手振りで何とか通じたとか

みんなで一つの事を成し遂げているブラバン演奏や演劇発表とか

通じ合っている、繋がっているその状態

に私はえらく感動するのです。

それはなぜだろうかと考えた時に、恐らく子供の頃の体験にリンクしているんだろうな、と。

子供の頃、大人しくて体が小さかった私は「かわいい女の子」という雰囲気があった様で、可愛らしく扱われていた様に思います。ひらひらフワフワ、レース、ピンク、赤、ワンピース。嫌いではなかったけど、なんか自然とそういう服を与えられていたと思います。今は絶対選ばない系。

思春期の頃は勝手なイメージで「いつもニコニコしてて悩みなさそうだよね」とか言われ、心の中で「あるっちゅうねん」と思う事もありました。

たいして話した事もないのに、先入観や見た目で判断される事に私は違和感の様な、嫌悪感の様な気持ちを抱いていたと思います。分かろうとする前に判断されている感じが好きではなかったんでしょうね。

上手く話せなくて気持ちが通じなくて、大好きだった人とすれ違ってしまった過去もあります。

大人になってからの親しい友達は、「こしみのちゃんは多分、お母さんのお腹の中でアレを落としてきたんちゃうか?」と。(要するに見た目とは裏腹に中身は結構おっさんやんな、ってこと。笑)下ネタにも関わらず、私はその言葉が嬉しかったんです。

という存在が、他者と通じ合っている(理解してもらえている)事が嬉しい。ありのままを知って欲しい、分かって欲しい。だからその糸口になり得るコミュニケーションに魅力を感じているのだと思います。

だから、なのか、
私は目の前の人がどんな人なのか知りたいし、人と通じ合うためのコミュニケーションというところに魅了され、心が震えるのだと思います。

あぁ…だからコミュニケーション=英語力と思い込みがちな留学生にザワザワするんだなぁ。
”そもそも人に興味持っていますか??“”その人と通じ合いたい意思はありますか??“と問いたくなってしまうのです。

あぁ…だから誰も悪く無いのに関係性がうまくいかないホストと学生に胸が痛むんだろうなぁ。ちょっと一歩下がって相手はどうかと考えてみるだけで、見え方が変わるかもしれないのに…と。

あぁ…だからコミュニケーションについて学び、理解を深め、通じ合う喜びを望んでいるのだと思います。私を介して誰かと誰かが通じ合うキッカケになったなら…

あの頃通じ合えなかった自分のアレやこれやも、学びを通して癒せるのかもしれない。

学びは楽しい。

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