できることは一人で完結させなくていい
アクセスありがとうございます。
越路つぐみです。
私たちは、得意/不得意がありますよね。
ちなみに私は、細かい手作業が不得意です。
何ひとつできないわけではないけれど、私のこうありたいな~っていうイメージにいつまでたっても近づいてくれません。
昔は、不得意なことを少しでも解消しようとして頑張っていました。
それこそお裁縫の練習とか…ね。
先ほども書いたとおり、今でも不得意なままですので、当時も取り組んで「やっぱりだめだった。」としょぼーーんとしておりました。
ですが今は、裁縫ができないことが日常の困り感にはつながっていません。
ただ、日常生活の中でお裁縫が必要な場面がないわけではありません。
では私は、〈お裁縫ができないままで困っていない〉をどうやって手に入れたのでしょうか。
それには私の得意…というより、【できること】が大きくかかわっています。
私は、〈お裁縫ができるようになる〉に代わることを他のことで代用することで、〈お裁縫ができないままで困っていない〉を手に入れています。
まずは最低限の自分の限界点を確かめました。
ボタン付けは時間をとってやればできる。
繕い物はいまいちですが、人前に持ち出さないものなら問題なし。
裾上げは仕上がりまでたどり着けない状態。
刺し子はなんとかできそう。
そうなってくると、人前で使うものの修理や裾上げを自分以外にやってもらえばいいよね☆ということになります。
親族の繊維関連の仕事をしている人にお願いしてみたり、手先が器用な人にお願いしてみたり、それこそお店に行ってみたり…。
そんな風にして、私のイメージする仕上がりを手に入れました。
私は人と話すことができます。
自分のできることがどこまでか確かめることができます。
周りの人の状況を把握することができます。
この3つを使って、自分一人で完結させない仕組みを作りました。
それって普通じゃん、当たり前じゃんって思う人もいるかもしれませんね。
ただ、こうした出来事を【私はできない。だから他の人に頼む】という捉え方をしていらっしゃいませんか。
ぜひこれからは、【人の力をかりても〈できる〉になる】として、自分以外の人と協力してできるを目指すことを、ご自身や周囲の方とトライしてほしいなぁと思います。
誰かの力を借り、誰かに力を貸す。
それがお互いのできるになる。
これを積み重ねていくことで、もうちょっとみんな生きやすくなるのかしら…ともぼんやり考えている次第です。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
またの機会に。