人生を振り返ろうー設計職ー
こんにちは、こしぇるです!
今日は人生を振り返ろうシリーズです。
設計職時代の話をしようと思います。
少しネガティブ注意なので、苦手な方はバックしてください。
それまでの人生です。
販売職を辞め、機械設計の派遣会社に入りました。
もちろん未経験ということもあったので、研修付きですね。
研修は3D CADでした。
派遣会社にしたのは、いろんなところに行って、さまざまなものを見れればと思ったからです。
その当時コロナでテレワークという流れもあり、入った直後から家で研修という感じで、正直身についたかと言われると微妙だったと思います。
また、コロナということもあったので、派遣先が見つかるかというのも正直ありましたね。
ですが、運よく研修明けから就業できることになったのです。
割とそういう運はあるんですよね笑
派遣会社は、各個人のこうしたいというのを、比較的汲み取ってくれる会社で、私が当時示した条件が、とにかく経験が必要だと思うから、いろんなことをトータルでできるところがいいというものです。
その会社は、いろんなことを幅広くできるという会社でしたので、私の望んだ条件に合っていました。
さて、その会社に就業し始めて、正直派遣だと一部しかできず、経験が積めないと言われていることも知ってはいましたが、そこは1から10まで教えていただける環境でした。
私にとって、とてもありがたい環境で、HSS型HSP、マルチポテンシャライトの私には、最初本当に楽しくてしょうがなかったです。
この就業先から、スカウトがありそのままそこに就業することになりました。
この時の上司は、相性が良かったんだと思います。
HSS型HSP特有の均衡だったり、フラットが好きなわけですが、対等の大切さや、コミュニケーションをとりながら、仕事を進めることができ、本当に良い環境でした。
マルチポテンシャライトということもあり、成長スピードはおそらく早かったんだと思います。
比較対象がいたわけではありませんが、上司にはよく速いというようなことを言われていました。
OJT方式なので、その時の仕事で学べることを学んでいくという感じでした。
一般的に仕事内容が慣れてきてできるようになってきて、速度も速くなってきたら、仕事内容をアップグレードという形だと思いますが、当時の私は仕事内容のアップグレードが先だったり、アップグレード幅が大きかったりでした。
初速MAXの当時の私は、アップグレードが先でも、合わせられるくらいできたんですが、それがどんどん追いつかなくなっていく感覚でした。
そんな感じで仕事をしていて、上司以外の人と仕事をすることもあったのですが、それが私には合いませんでした。
HSPさんは、圧のある人が苦手だと思うのですが、私もそうです。
上司以外ほとんどの人間が圧のある人であったり、自分の主観だけで押し通す人だったりで、根本的に苦手な人たちと仕事をしなければならず、どんどん仕事のスピードが遅くなっていく一方でした。
2年経ったくらいで、いつもと同じように、苦手な人たちの仕事をして、帰ったらぐったりという生活になっていました。
また新しく、大きな仕事をメインですることになっていて、まだまだ経験不足の私は、1個1個決めるのにもかなり時間がかかっていて、その時にはもう頭の中が処理しきれないくらいいっぱいだったんだと思います。
趣味など楽しいことができず、する気力も起こらない。
楽しみと思える感情が死んでいました。
環境を改善できるように、上司に相談しようと思ったことはありますが、周りが見えてしまうHSPさんにとって、上司に今相談してもすぐ解決できる状況ではないとか、当時上司もかなり仕事量を持っていて、なかなか相談することができませんでした。
そうこうしているうちに、休みがちになっていって、仕事を一旦休むことになりました。
病院に行っても合わなくて、しばらく何もできないまま、回復の兆しもないままで、テレワークで少しずつ復職できないか試してみましたが、適応障害になった原因は改善できないとわかっているので、よくなれず結局退職することにしました。
HSS型HSPやマルチポテンシャライトにとって、いろんなことをできる職場は、飽きずに良いことだと思います。
実際に特注をやっていたので、新しいものに触れる機会が多く、そこは満たせていたと思っています。
ですが、私は増やしすぎてしまう傾向にあるようで、同時にこなせることは多くなくパンクしてしまいます。
できることを増やすのは得意ではあるけれど、減らすことが本当に苦手で、物理的に減らすことをしないといけないのではと思っています。
今日は設計職時代の振り返りでした。
今度は離職期間中の振り返りかな
ではまた