校長トリセツあほうの鼻毛
某、都内の中学校において、校長より「校長のトリセツ」なるものを受け取った臨時的任用教師、いわゆる産休代替が、その馬鹿馬鹿しいさまを述懐するものである。
さて、このたびは、コスト意識、すなわちマネジメント意識についてのトリセツ記述を垣間見る。
端的にいえば、公立学校であるから、コストとなれば税金の無駄遣いをするなという金銭感覚の話になるのであるが、このあたりはいかにも「公務員で御座い」というクオリティでしかない。
自分自身の力で金銭を得たことがないものがコスト意識などというものを適切に経営企画として裁けるわけがない。
もっとも、必ずしもこの校長は「公務員」だけの経歴ではないようで、1年ほど、他の人が稼いでくる金で仕事をしたつもりになれるような民間企業にいたらしい。トリセツに、その華々しいと御本人が思っているのであろう経歴が載っている。
そもそも1年で民間の企業を辞めるというのは、いかにも経営感覚がない。その経歴は客観的には負債でしかない存在だった、であるし、かつ、利益を出せない存在であることが自覚できていないことの証左でもある。たった1年ごときで、会社員の何人分の給与を支払える利益をあげられたと考えているのだろうか。ただ存在していただけで給与が支払われていた1年という経歴を、御大層にトリセツに盛り込んでいるところが、いかにも世間知らずと言わざるを得ない。
そもそも、会社の人事観点から見れば、採用し、教育し、半人前の状態のまま辞められたのでは、時間と労力と金銭の無駄以外の何モノでもない。
さらには、こいつをどうすれば業績に繋がるかという計画性という頭脳労働的なコストや、こいつをいかにすれば働きがいがあって居心地よく長く過ごせるかという精神的なコストをも含めれば、全ては大いなる損失であり、最低でも3年そこに在籍していなければ存在そのものが負債だ。
すなわち、コスト感覚とは、金銭コストのみならず、労力というコスト、時間というコスト、さらに人事的(頭脳労働的、精神的)コストの全てを総合してこそ成立するものであり、そもそも金銭コストですら杜撰な理解しかしていない管理職が「コスト感覚を持て」などと言い出したところで、勉強不足すぎてハラワタがよじれて腸捻転するレベルで笑えるハナシだ。
これだけでとどまらないのがこの校長のすごいところで、前回記事の直後、職員室で指導なのか業務指示なのか、どちらを目指した発言なのかは知らないが、長々と備品・消耗品について、講釈を垂れた。
私を内臓破裂させるほど大いに笑わせてくれる発言であったと言える。
かいつまめば、こうだ。
「わたし(校長)の前で、校務事務室に入った先生がいる」
「黙ってその先生は必要なものを持っていった」
「その場にいる事務職に断りも挨拶もなく」
「常識的にあり得ない」
「その場で『何を持っていくのか』伝えれば、どの備品がなくなりつつあるのかも伝わる」
「そもそも、互いに働きやすいようにコミュニケーションをとるべきである」
あのー、あなたは、私を紹介しそこねて、非常に働きづらくなった状態にした(かもしれない)あげくに、謝りもしていないわけですが、その口でそれを言うのですか、と。
それはともかくとして、はっきり言って時間の無駄以外の何物でもない。
備品の管理を適切に行いたいのであれば帳簿記録をすればよいし、全員の前でこれをやれば指摘されている人は名指しされないまでも(ああ、なんて働きやすい環境だろう)とは思えないし、まして、それを全職員の前でやられたところで、他の職員からすれば(いまこの瞬間にそんなことに目くじらをたてるなら働きづらい場所にしているのはあなただ)と思うだろうし、ましてや、こういう無駄な精神的コストをかけて新任や新卒の教員が辞めたり病んだりしたら人事的コストは計り知れないし、あっという間に人員が足りなくなるという大損失が待っている。
そしてこれが業務指示にせよ指導にせよ、そもそも校務事務員が、挨拶しても挨拶してこないのだから、われわれにただの独り言を喋れと言っていることにもなる。「互いに」というのであれば、校務事務員にもそうした「最低限の返事を強制したらよい」と考える。そしてパワハラでさっさと辞めればお笑い草だ。
そもそも傾聴的態度に欠ける。
教員だからこうあるべき、という理想像があるのは別によい。が、それを達成するために、なぜご自身は、大真面目にその理想像から遠ざかる方法をとるのか、そして本人がそこから遠いのにメガホンで声を張り上げるように他者には強いるのか、その一方で、言いづらい相手にはその正論をぶつけることを避けているのか。
すでに「人間であること」すらどうでも良い私にとっては「人間のふりをした悪」は、人間の姿を真似ようとばかりしている自意識の塊でしかない。こうしたモンスターをみると、阿呆が鼻毛の先にトンボを結びつけて飼いならしているようにしか見えなくなってくるのだ。
口や目にそのトンボはガシガシぶつかっているだろうに、阿呆だから自覚がないというのがみっともない。