「ははのみの」 02
(承前)
中井先生の弟の岩崎君は
十一月六日頃でした、
屈家橋攻撃の際の
迫撃砲弾の破片の為、
胸と股だつたと思ひますが
負傷されました。
然し元気でした。
今では傷も大分
よくなつてゐる事と思ひます。
東山見の小學校の方へは
便も出しませんが呉々も宜敷
申してゐると傳へて下さい』
讀み終へて幾日もなく長男出生す
たて切りし産屋のそとの朝日影
小鳥啼き居りいねつつ聞けば (39首)
春日さす産屋のうちに吾子とありて
まなこ閉ぢをれば小鳥らの聲 (40首)
毅(つよし)と命名す
母のみの手に育つともつよかれと
父が門出につけしこの名ぞ (41首)
毅とふ名をまだ生(あ)れぬ子につけて
い征きし心しみじみ思ふ (42首)
(野村玉枝『雪華』より 原文ママ)
※ ※ ※ ※ ※
歌曲集《雪華》に書き込まれた
平井康三郎の但し書きによると、
この曲は第四曲「めざむれば」と共に
「二人の遺児の名を入れた歌が欲しい」
という、野村玉枝の希望に沿い、
歌曲集に加えられたとある。
父・勇平と過ごしたのが
わずか1年足らずの長女・暉美。
遂に父とは生きて会うことが
叶わなかった長男・毅。
その二人の遺児の名を
歌曲集に加えることで、
父がどれだけ
二人のことを慈しんでいたか、
生れてくる子を
どれほど待ち望んでいたか、
そして
父の願いと覚悟を受けた母は
どのような気持ちで
日々、二人を育んできたのか・・・
母・野村玉枝の
二人の子に向けた
祈りにも似た想いが
この歌に、
そしてこの平井保喜の曲に、
込められているのではなかろうか。
※追記
折しもクリスマス(降誕祭)ということで
野村玉枝の長男・毅の
誕生にまつわる話を書いてみました。
生まれ出ずる
すべての生きとし生けるものへ
幸の多からんことを・・・
※ 写真はイメージです
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