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「パネットーネの思い出」 02

パネットーネのラベル作り、
この仕事は夏の間、ずっと行っていた。

クーラーも大きな窓もない
暑い屋根裏部屋の中、
徹夜になりながら
黙々と
ラベルに両面テープを貼っていく。

軍手をしたままだと
ラベルを1枚つまむのにも
手間がかかってしまうため、
量を早くこなしたいのであれば
軍手を外しての作業となる。

それでも
慣れてくると作業の速度が上がり、
1枚貼るのに2秒程度、
MAXに近いスピードだと
1分間に50枚まで
処理できるようになる。

(単調な仕事なので、
 集中力散漫にならぬためにも
 目覚まし時計を目の前に置き
 常にタイムアタックしながら
 作業をしていた。
 ワハハ、日本人の勤勉さだな。)

単純計算で1時間3千枚
時給換算で1,500円より少し上あたり。

これは1991年当時の単純作業労働としては
なかなかの賃金だった。

しかし疲れてくると、
効率は目に見えて落ち
ミスや怪我も頻発する。

テープを切る手間を省くため
テーブルの端の角に
カッターナイフの刃を
刃が上になるように貼りつけ、
その刃を使って
両面テープを切断するのだが、
ちょっと手許が狂うと
テープではなく指を切る。

そうなると血まみれになり
そんな手で作業を続けても
血のついたラベルなど
検品で全てはねられるだけ。

納入期限までに
万単位のラベルを納めるべく
朝から晩まで、
時には徹夜してまで
黙々とテープルに向かい、
ただひたすらにラベルを貼っていく・・・

同じ作業の繰り返しは
躰にゆがみを生じさせ、
肩は張り、首もおかしくなり
そして何故か
「脚」がおかしくなっていく。

それでも続けていると
最後は気持ちがおかしくなり、
妙な幸福感に包まれて笑ったり
全然悲しくないのに涙が出たり・・・

自分でも
「ああ、ここから先は危ない」
と感じる瞬間があり、
そこでその日の作業は終わり。

・・・そんな日が
夏の間中続いた。

・・・いや、
秋も、冬もやっていたな・・・

※ ※ ※ ※ ※


冬のある日
気がついた。

仕事には慣れた。

効率よく仕事をこなし
家賃や食費程度の金は
そこから稼ぐこともできた。

これもある意味
「生活基盤の確立」
と呼んで良いのかもしれぬ。

・・・
だが、これは
私の望んだものか?

私は何のために
イタリアに来たのか?

パネットーネのラベル作りが
つまらぬ仕事だとは言わないが、
それをするために
ここに来たのではないはず。

「イタリアで暮らす」のが
私の目標ではなかったはず。

これでは目的と方法の
「主客転倒」ではないか。

・・・
もう一度、原点に
立ち戻らなければ。

何かに怯えて
守りのための
選択をするのではなく、
リスク覚悟で
攻めのための
選択をしなければ。

自分がやりたかったこと
自分が求めていることを
はっきりと見据え、
迷わず、進まなければ。

とてつもなく大きな
"pagare"(勉強代)にはなったけれど、
原点に立ち戻ることに
やっと気づくことができた。

・・・この
「原点」というものに
気づかせる機会を与えてくれた、
「原点とは何か」ということを
考える機会を与えてくれた
「ある親しい人」には、
今でも感謝している。

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