高校の時に輝いていたT君の話
「今でも彼のことが羨ましい」と思う時がある。
髪はサラサラのロン毛で、黒縁メガネをかけた小柄で太っちょな同級生がいた。彼はいつも自信満々でナルシストだった。女子からは恐れられていたけど、僕は彼が大好きだった。彼の名前はT君。
T君はロン毛をハーフアップにまとめ、左右から触角のように髪を垂らしていた。その触角を2本指でかき上げて「俺だからね!」と言っていた姿は、頼もしさすらあった。
僕が高校生の頃は、GLAYやL'Arc〜en〜Ciel、Mr.Childrenやスピッツが流行っていて、みんなMDやポータブルCDプレイヤーで流行りのアーティストの音楽を聴いていた。
T君はLUNA SEAやX JAPANが好きで、太っちょなのにピチピチの皮パンをローライズで履き、ドクロ柄の大きめTシャツにシルバーアクセサリーを合わせるというファッションスタイルだった。足元には白のラバーソウル、腰にはホームセンターで手に入れた鎖のウォレットチェーンを付けて、まさにヴィジュアル系の真ん中を行くスタイルだった。
T君と言えば忘れられないエピソードがある。
彼は前述の通り、自信家でナルシスト。それでいて小太りで眼鏡をかけている人だった。昔からある定番のいじめの一つに、「机に花瓶を飾る」というのがある。いじめ対象者の机に花瓶を飾るというのは、「死んでいないのに死んだ」という嫌がらせだ。T君に対してその花瓶いじめを仕掛けた奴がいた。机の花瓶を見たT君は
「照れてないで出ておいで!君の愛を受け止めるから!」
と本気で自分が告白されたものだと思っていた。僕がいじめの趣旨を説明しても、
「そう見せかけてるけど、やっぱり、僕に告白したかったんだよ」
と答える人だった。教室の隅に花瓶を飾り、それを見た先生が、いじめを察知して生徒を問い詰めようとしたが、T君は
「僕への告白を、そんな風に言わないでください!」
と、花瓶の趣旨を理解してもなお、場の空気を和ませていた。
そんなT君が文化祭でバンド演奏をしたい
と言い出した。
それは当時の僕たちからすると、
身の程をわきまえていない提案だった。
というのも、文化祭でバンド演奏を許されているのはスクールカースト上位の住人だけだった。
T君や僕の所属する友達グループは、
今でいう陰キャグループであり、
スクールカーストで言えば
ほぼブービーのような位置づけだった。
ブービー陰キャグループの構成員は、
・T君
・ボソボソサブカル男子の僕。
・制服の下に迷彩服を着てくる
日本兵こと、ミリオタ男子のO君。
・プロレスマニアで尾崎豊ファンだけど
窓ガラスを割らない系の真面目男子K君。
・習字の授業で「勝訴」と書き、
窓からアピールする悪ノリ男子のD君。
・中国のサイトから卑猥な動画を
サルベージしてくるU君。
・推理小説と幼女を愛するI君。
・おじいちゃんの絵が死ぬほど上手いTK君。
など、なかなか個性的な集団だった。
その友達グループから、
T君はバンドメンバーを選んだ。
ボーカル T君:ナルシスト太っちょ
ギター K君:真面目系尾崎ファン
実はイケメン。ベース 僕:ボソボソサブカル野郎
184cm58kgで酷い猫背。ドラム O君:ミリオタ。短髪に丸眼鏡。
カバンにエアガンを携行。
当時を思い出しても、なかなかのメンバーだ。
X JAPANのhideが使っていた
「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」
というキャッチフレーズは、訳すと
「視覚的衝撃という幻覚的な暴力罪」
当時の僕らは、まさにこの表現にふさわしいバンドだったと思う。もちろん正当な意味でなく、逆説的な意味で、視覚的な衝撃があったと思う。
僕たちのバンド名は「RAMADA(らまだ)」。
確かTK君が命名してくれたはずで、正式な表記は「裸魔蛇」だった。
今、振り返ると、心がモゲそうなほど恥ずかしい。
でも、当時はカッコイイと思っていたのだ。
演奏する曲はX JAPANの「DAHLIA」。
初心者には難しすぎる曲だったが、
「俺らがDAHLIAを演奏できたら見返せるんじゃない?」
という安易な気持ちで始めた。
それぞれのメンバーのスキルを整理すると、
・ボーカルは歌うことができる程度。
・ギターは中学からやっているので上手い。
・ベースの僕は初めて1年。
ゆっくりなら弾けるぐらい。
・ドラムのO君は完全な初心者。
バンドの要であるドラムとベースが、超初心者と初心者という絶望的な状況だった。
練習を始めてからギターが一人足りないことに気づき、ボーカルがギターボーカルに変更。バンドメンバーの半分が超初心者になった。ベースの僕も初心者に毛が生えた程度で、バンドメンバーの3/4が初心者という地獄のような状況でバンドは始動した。
文化祭当日、僕たちの前に演奏したのは3年生のイケてるグループだった。
演目はスピッツの「チェリー」。
○○さん!という黄色い歓声が各所から上がっていた。男女混成バンドで、ボーカルの人はJUDY AND MARYのYUKIさんみたいなファッション。キラキラした集団だった。
その後を務めたのが僕たち「RAMADA」。
全員黒ずくめの陰キャ集団。
体育館のステージ袖から出た瞬間、
事件が起こった。
聞こえてきたのは歓声ではなく、
「ぎゃぁぁぁぁ!!」
という悲鳴だった。
僕たちはその声にビビって立ちすくんでしまったが、T君だけは
「お前ら行くぞ!DAHLIAぁぁぁぁあああ!!」
と叫び、ギターのK君は冒頭のリフを演奏した。
勢いよくギターの音が響き渡るも、ドラムのO君が明らかに遅れた。
ベースの僕はギターについていくのがやっとだった。
まともに演奏できない事態を想定していた僕たちは、放送部の子に頼んで、演奏できない場合の、カラオケバージョンを用意していた。
開始10秒で、その音源が体育館のスピーカーから流れ出した。
当時を振り返って言えることは、
「3か月でYOSHIKIのドラムは叩けない」
ということだ。
O君がほぼ叩けていない中、
すごいヘッドバンギングをしていたのを
覚えている。
ダウンタウンのガキの使いで見た、
山崎邦正扮するチャッキーのようだった。
基本的にギターのK君以外は、
面白バンドショーをしていたように思う。
ギターを1ポロンしただけで
スタンドマイクを両手で持ち、
「ふぅぅぅう!!」なんて叫んでいたT君。
内股で、ベースを地面すれすれで持ち、
クネクネ演奏していた僕も、面白構成員の一人だ。
そして間奏に入った所で事件は起きた。
K君が立派に演奏をこなしている最中、
T君のスターとしての気質が爆発したのか
「アリーナーぁぁぁあああ!」
と叫びなら、脱いだTシャツを客席に投げた。
バンドスターが同じことをしたのなら、
客はそれを奪い合うようにもみくちゃに
なるのだろう。
しかし、T君の投じたシャツは空中を舞い、
客席に大きな輪を形成し、Tシャツは床へ落ちた。
後に、”文化祭ミステリーサークル事件”として
語り継がれることとなった。
僕と同じ時期に高校に通った人には、
有名な話である。
あれから25年が経過した。
時折、同級生同士で集まると
「T君ヤバかったよね」と僕が話を振ると、
「〇〇も同じくらいキモかったじゃん!」
と笑い話になる。
当時は恥ずかしいばかりだったけど、
時間がたてば、良い思い出として片づけられている。
T君、どうしてるんだろうな?と時折思う。
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