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餃子がすき
餃子が嫌い、というひとにであったことがない。
アイルランド人、カナダ人、フィンランド人、スペイン人、スコットランド人、ウェールズ人、フランス人、イングランド人…。
「また、ギョーザ、つくってね!」とたいていお願いされるばかりか、この前なんて、日本食レストランのないバルセロナ郊外の小さな村で、「お父さんとお母さんに餃子を食べさせたいから」と、スペイン人2人と一緒に皮から手作りしてきたくらいだ。
◇
餃子は、ソウルフードだ。
子供のころ、夕飯の準備を手伝うなかで母から教わった餃子のレシピは入れるものも調味料の分量もみんな「適当」。
おかげで今ロンドンで「作り方を教えて」といわれても、すべて感覚にしかならず困ってしまう。
ただ、あのとき家族六人分をいつも姉と競争して包んでいたからか、いまでも餃子を包むスピードはとても早い。
高校時代、自由が丘の餃子の王将でお持ち帰りを買い込んで、そのまますぐ近くの友達の家で白米を炊いてもらい食べていた餃子。
ヴィトンやハンティングワールドのバッグにポロのセーターなんていう生意気女子高生だったのに、壁がすすけた赤茶色の店内で餃子が焼けるのを待つ時間は不思議としっくりきた。いいにおいを嗅ぎながら雑多なおしゃべり。楽しかった。
餃子もご飯もかっこんで食べながら、いろんなことを話したっけ。
アメリカからもどり、日本で働き始めたとき。住む街を選ぶ条件は「ケンタッキーと餃子の王将がある街」だった。
ジャンクフードばかり食べていたわけではないけれど、なんとなくやってられないよという気持ちになったときに、このふたつが効果的だと知っていたから。
ロンドンに越してすぐ。
まだ知り合いの数が5人くらいだった私の「同僚」が「友達」にかわるきっかけをくれた事件があった。
そのあと、できた「友達」を新居に呼んだとき。
そのホームパーティーのメニューも餃子だった。
日本から船便でようやく届いたホットプレートに、餃子の皮を用意して、餃子の種もボウルにいれて。
「自分で包んで、自分で上手に焼いてね」
海外では自分の食べ物をテーブルで作るという習慣がないのを知っていたので、あえて自分でどうぞスタイルをやってみた。
同僚の子どもたちは大興奮して、がんばって指をネバネバにしながら餃子を包み、楽しそうにマイギョーザをぱくついていた。
◇
旅先で食べた忘れられない餃子といえば、上海に出張に行ったときの水餃子を思い出す。
もう今から20年以上前。まだ浦東に宇宙ぽいタワーなんて建っていなかったころ。アメリカと日本からのチームと一緒に行ったのにどうしてひとりで夕飯を食べたのかが思い出せない。
でも、オークラホテルからすぐ近くの地元のひとしかいかない感じの崩れ落ちた食堂で食べた水餃子がとてつもなく美味しかった。
日本円で5円もしなかった気がする。
いまから考えたらとても信じられないような、まだまだ日本がたくましさの残光を放っていたころ。
その記憶があったから、その10年くらいあとに上海に行ったとき、おいしい餃子を探し求めてしまった。
もうそのときには上海にはお金を持った中国人富裕層むけのショッピングセンターや高級レストランが溢れていて。
それでも頑張ってみつけた、地元の家族連れがいくお店という触れ込みのレストランに、スコットランド人の同僚とわざわざ出かけていった。
大きな回るテーブルがいくつも並ぶ巨大なお店で、でも、どこにも外国人がいないなか、スコットランド人の彼女が移動するたびにお店じゅうの目線が動いていったのを覚えている。
ありついた餃子は、おいしかったけれど、その昔食べたときの美味しさにはとてもかなわず。
まあ、記憶のおいしいものというのは、そんなものかもしれない。
◇
私がときどきつくるヨーロッパ的マイ餃子がある。
それは、イギリスやフランス、スペインでは一般的なブラックプディングを使ったもの。
きっかけはスペイン人のブルーノがお父さんの田舎であるブルゴス(Burgos)の名産モルシーリャ(Morcilla)を買ってきてくれたことにはじまる。
穀物や血、臓物などを詰めて作られる、いわゆるブラッドソーセージというものはヨーロッパのいろんなところで食べられていて、イギリスではブラックプディング、フランスではブータンノワール、スペインではモルシーリャと呼ばれる。
これをメインに、味の控えめなキャベツやきのこを足して作るのだ。
圧倒的に赤ワインに合う。
◇
よくちまたでは東西の文化がいきかっていたルートを「シルクロード」とよぶ。
私は絹よりももっとわかりやすく今の世に伝えているものが「ギョーザロード」だと思う。
イギリスのパスティ、イタリアのラビオリ、ポーランドのピエロギ、ウクライナのヴァレーニキ、ジョージアのヒンカリ、ネパールやチベットのモモ、中国の小籠包、朝鮮のマントウ、そして日本の餃子。
グルテンの皮においしいなにかを包んで、焼くなり蒸すなり茹でるなり。
ほっこり食べるという料理が、ずーっとつながって一本の線をなしているじゃないか!
人間は個々違うもの。
文化も個々に違うもの。
日本を離れて暮らしてきて、それは日々感じる。
けれど、同じくらいに、ああここもかというくらい共通点も見えてくるものなのだ。
餃子、それはヨーロッパから日本まで、人間が美味しいと思うもののありかたがつながっていることの証だ。
さ、今夜は餃子にしよう。
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