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原始、太陽だった
アナトリアという言葉を今回のトルコ旅行まで聞いたことがなかった。
アナトリア(Anatoria)とはアジア大陸の最西部をなす半島地域を指すことばだ。
ローマ時代には現在のアナトリアに含まれる属州のことを「アジア」と呼んだらしい。が、その言葉はしだいにヨーロッパに対する東方世界を示す広義のものとして使われるようになった。その結果、もともとの「アジア」(アナトリア)は、代わりに小アジア(ミクロアジア、アジアマイナー)といわれたりもするらしい。
私はトルコといえばイスタンブールというイメージが強く、ヨーロッパ大陸とアジア大陸を左右の岸に持つボスポラス海峡がまさにその象徴だと思って来た。
けれど、考えてみたらトルコの大半はむしろアジア大陸でありこのアナトリアこそがトルコの真骨頂なわけだ。
こうしてロードトリップをしていると、アナトリアがいかに東西文化だけでなく中東も含めた三方向からの文化が交差した歴史文化の重要地点なのかがよくわかる。
ヨーロッパ大陸とアジア大陸という物理的な線引きよりも、ローマ時代の遺跡群や出土品がアナトリアの文化的複雑さと深さを物語っている。
♢
アンカラを離れる前に私たちが立ち寄ったのはアナトリア文明博物館。
オスマン時代に市場があった建物を使っているそうだ。
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旧石器時代の出土品からスタートする展示を見ていると、ジェニーが「すごい、こんなに古いものが」と興奮をみせる。
ジャネルによると、アメリカ南西部のインディアンの住居は、この博物館に展示されている石器時代の住居と同じように屋根から出入りするデザインになっているらしい。
ケモノたちから身を守ろうとするニンゲンの知恵は、場所を超えて共通点をもたらすものなのだ。
ツアーガイドが次に私たちを導いた展示物。
それは、大いなる母神だった。
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「当時のニンゲンたちは妊娠への男性の関与をまだ理解していなかったから、あるタイミングで突然女性が子供を孕み、出産するということにものすごく神秘性を感じ、女性を奉っていたといわれています」
ツアーガイドはそういった。
マスターキートンが大好きな私には、あの漫画の中にあった白い女神のエピソードが思い出された。
豊かに太った母体から、今にも産み出されようとする新しい命。
それを像として残しておこうと思った当時の人々の気持ちを思い、感動してしまった。
元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に寄って生き、他の光によって輝く病人のような蒼白い顔の月である。
私共は隠されて仕舞った我が太陽を今や取戻さねばならぬ
原始では女性を尊ぶ文化だった。
それは生命を産み出すというシンプルなそしてパワフルな生殖能力により確固としたものだった。
そして。
形や度合いこそ違え、今の私たちは女性であるがゆえに、ヒジャブをつけたり、社会での求められる役割に縛られたり、教育の機会を制限されたりする世界にいる。
日本は決して例外ではない。
♢
猫の街として知られるイスタンブール。
そこを離れてからも、至るところで猫そして犬たちが自由に独立して暮らしているトルコの源流を見るように、たくさんの動物の像が出土品として展示されていた。
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猫好きの私たち3人は嬉々として写真を撮り回った。
♢
再び太陽にはなれずとも、でも自ら輝ける立場であるように。
それには自分の足でしっかりと立ち、自分が何をしたいのか誰によることもなく判断できるようにあらねば。
そんなことを思いながら、博物館を後にした。
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