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あいまいな日本(とアメリカとイギリス)の私

イギリスのあるあるを書き記す、などといったものの、前回の書き終わったエントリを読み返してみたら、まるでイギリス側の援護射撃文というか、言い訳文のように読める気がしてきた。

そして、そもそもの自分の存在意義というか、関心が、いくつかの価値観や文化や慣習のあいだを取り持つということなんだから仕方ないかと開き直ってもきた。

考えてみたら、noteでは、私はいつも自分版の「あいまいな日本の私」をいろんな形で吐露してきていたのだ。

そして、「正誤」ではなく「違うだけ」なんだということを

さらに、「違い」に注目するよりは「共通点」から入りたいと思う自分に、書くことで気づいてきた。

それは、いろんな違いに出くわしたとき。
「なんでこんな風になってるわけ?」とストレスをためたり、泣いたり、怒ったりする私の愚痴を聴き、時にはジョークで、あるいは歴史の授業を絡めながら「そうだね、気持ちはわかるよ。ただ、こっち側の文化はこういう背景なんだよ」と、しっかり向き合ってくれる人たちに出会えたからだと思う。

その一番最初が、高校時代に私を受け入れてくれたアメリカの家族だった。

そして30代でイギリスに移ってきたとき。
もはやホームステイにきた高校生でも、留学している大学院生でもなく、「オトナ」として外国に引っ越してきた自分が、ひとり生活をスタートさせるなかで、どう助けを求めたらいいのかわからなかったとき。

雪の降りしきる真冬のロンドンでアパートから締め出しされたことはとてもつらかったけれど、その災難が、逆に新しい仕事仲間との壁をとっぱらってくれた。

振り返ってみれば、小学校のころ「翻訳家」と将来の夢に書いた私は、なにかとなにかを訳という点線で繋ぐことに興味があったのだと思う。

そのあと、日本語教師に形をかえ、さらにそれはまったく言語学から離れた今のキャリアに発展することになるのだけれど。

突き詰めてみれば、日本にいた時もアメリカの本社や、イギリスの本社、アイルランドの工場なんかに日本の商習慣や要望や文化背景を理解してもらうことが一番の仕事のキモだった。
そしてイギリスに移ってからは、世界中の運営子会社の国の商習慣や要望をイギリスの本社につなぐ仕事をしてきた。

違うスピードで回転する歯車をかみ合わせるように、それは、時に摩擦を生み、軋轢を生み、ノイズが起こったりもするのだけれど。

いままで出会ってきたひとたちが、私の「なぜ?」に真摯にむきあって、「どうしてかというと」を説明してくれたから。私はここで、なんとか潤滑油のような役割を勤められているのかもしれない。

同じように、日本にたいする「なぜ?」に、私もできる限りきちんと相手に伝わるように説明を返してきたつもりだ。

そのやり取りを繰り返すうちに、境界線はどんどんと滲み、漠然としていき、正誤も左右も上下もなくなっていくのではないか。

もちろん軸足はきちんと持ちながらも。

そんな、あいまいさを、私は尊いと思う。


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