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「遠慮深いうたた寝」小川洋子 著 を読んで

 久しぶりに、小川洋子さんのエッセイ集を図書館で見つけて読んだ。
 
 小川さんの書籍で、もしかするとまだ読んでいないのは、芥川賞を取った「妊娠カレンダー」だけなのかもしれない。受賞されたときには話題になったので、図書館で手にすることは出来ず。その後長い年月の間、何故か読むチャンスがなかったので、今度探して読んでみなくては。

 でもそれ以外は、たぶん小説、エッセイ共々全部読破していると思う。
小川さんの小説は、簡単に理解できるものではなくて、謎も多いのだけれど、このエッセイを読んで、分からなくてもよいのだと納得。自分の分かる範囲などたかが知れているので、分からないものは分からないままに、自由に読んでいいのだと改めて気づいた。

 また今まで読んだ小川文学が、こんなところからインスパイヤされて書かれたというようなエピソードもあってとても興味深かった。「ことり」にしても、急に自分の中におりてきて、気になって気になって仕方なくて、小説に昇華されていくというのは、天性の作家なのだと思う。小川さんしか書けないような世界観にあふれた小説を読むのが毎回楽しみで仕方がない、一ファンとしては、一大発見であった。

 小川さんは同じ小説を何度も読み返されるようで、昔読んだ本でも、年月を経て読み直すと、また違う輝きが見つかるという。
 私は大学で日本近代文学を研究したのだけれど、選んだ作家の小説からエッセイ、作家についての評論まで、入手できるものはすべて読みつくして研究していく。たった一度の卒業論文だったのだけれど、結構それで懲りて、大学院に進む人に尊敬の念を持ったことを思い出す。

 なので、同じ本は一度きりで、二度読みはほとんどしない。小川さんの再読した小説も、読んでないものが多かったのだが、不思議と、以前読んだような気がしたり、小川さんの新たな発見を自分の発見みたいに思えたりするのも面白い経験だった。

 エッセイ全体に、あとがきにもあったけれど、文学に対する畏敬の念があふれている。

 一方で、ほぼ同世代の小川さんが大好きなミュージカルのためにファンクラブに入って、先のチケットを予約し、ドキドキしながら劇場に向かう様子も、すごく良く分かって楽しかった。
阪神ファンというのも、うちも今は亡き父が、甲子園球場の近くにやはり住んでいたことがあって、ずっと阪神ファンだったこともあり、すんなりと頭に入っていく。
亡くなったお父さんに、もっとこんなことをしてあげたかったと妄想する気持ちにもとても共感できた。

 日常生活で、なにかぼんやりしてしまったり、こうすればよかったというような失敗談もうなづけるものが多かった。

 これからも小川作品は小説であろうがエッセイであろうが、ずっとずっと読み続けていきたい。
私も健康に気を付けてもう少し頑張りたいと思っているので、小川さんもどうかご健康に気を付けて、ずっとずっとこれからも書き続けていただきたいと、しみじみ思った。