リンカーン記念堂 リンカーン像の頭部にある謎の顔と都市伝説
2005年にニューヨークへ行く
アメリカ同時多発テロ(2001年9月11日)の傷跡が、まだ残っていた。その一方、ヤンキーズの松井選手は超有名だった。
USA Dulles International Airport に到着する。
ちなみに空港が混雑しており、30分ほど、ニューヨーク上空を飛んでくれた。自由の女神の真上を飛んでくれた。
この空港はワシントンDCの西約43km、バージニア州にある国際空港で、成田-DC間の唯一の直行便が飛んでいた。United のHUB(中継)空港でもあり、シカゴ経由の成田-DC便も飛んでいる。(2005年当時)
ホワイトハウスを見る
ホワイトハウスへ行く道の途中で、車の車窓からワシントンのウォーターゲート・ビルが見えた。ここに民主党全国委員会本部があった。
1972年6月17日午前2時30分、ワシントンのウォーターゲート・ビル内にある民主党全国委員会本部に侵入した5人の男がガードマンにつかまった。これがウォーターゲート事件の発端だ。フォレストガンプでもそのシーンがあった。
大統領の帰還が間近なのか、ホワイトハウスは屋上でSWATがミサイル砲を持ってうろうろしていた。まだこの頃はテロとの戦い中だ。
ホワイトハウスと言えば、インターネットの黎明期、インターネットに接続して、始めに確認にいくのが、トップ画面にホワイトハウスの画像が貼り付けてあるホワイトハウスのWebサイトだった。
民間では、ローリングストーンズの舌だしイラストのサイトを確認した。
写真がゆっくりとパソコンの画面に現れる。通信速度が遅すぎるし、接続はよく切れる。またバケット料金が恐ろしい時代だった。それでもあの瞬間は覚えている。
リンカーン記念堂
リンカーン記念堂はアメリカ合衆国第16代大統領のエイブラハム・リンカーンを記念して建設された。着工は1914年に始まり1922年に完成している。場所はワシントンD.C.のナショナル・モール西端に位置している。
リンカーン記念堂にある大きなリンカーンの彫刻(ダニエル・チェスター・フレンチ作)、その頭部の後ろに顔があると言う、その都市伝説を確認する。
「ある!」これで、何かの謎が解けることもなく、頷くだけの私だった。
はて?
リンカーンの彫像の後頭部を見ると確かに人の顔らしきものが見える。
一説には南部の軍人ロバート・エドワード・リーの顔だとも言われている。
リンカーンは奴隷解放をしたが、インディアンには厳しかったという。
歴史は都合良く改ざんされるので、真意は分からない。それでも、なにかを示唆しているのだろう。
1ドル札
ここで、さらなる都市伝説、アメリカ旅行中、チップなどで使う事の多い1ドル札。その1ドル札には多くの不思議がある。
この1ドル札の図案だが、世界大恐慌直後の1931年、ルーズベルト大統領が不況にあえぐ国民を鼓舞する目的で採用した。
表の肖像画は初代大統領ジョージワシントン。
裏面右側には国鳥ハクトウワシが。足は13枚の葉と実を持つオリーブ、13本の矢をつかんでいる。
頭上に輝く星の数13個。リボンに書かれた文字<E Pluribus Unum>「多くからひとつ」も13。これらはアメリカ建国13州をあらわしている。
胸の13本の縦線も同じ意味。13だらけだ。
13日の金曜日、悪夢のアポロ13号といい、「13」はアメリカでは不吉とされている数字だ。
ちなみに「13」を不吉な数字であると信じているアメリカ人は1700万人~2100万人に達するという調査結果もある。
それなのに何故1ドル札は「13」だらけなのだと、思ってしまう。
「13」サーティーの秘密
以下受け売り。
裏面左側のピラミッドの上に描かれている「目」は真理を見通せる「第三の目」。「英知の目」とも呼ばれ、フリーメーソンの図柄と言われている。
フリーメーソン登場でついに本物の都市伝説となる。
この図、1ドル札に描かれた理由は不明だが、フランス人権宣言の石版などにも描かれている。
未完成のピラミッドは13段。その上に書かれたラテン語ANNUIT COEPTISも13文字。
意味は以下。
「米国の富のピラミッドは未完成である。神の加護を受け成功させよう」
そんな折、帰りの飛行機で見た映画「ナショナル・トレジャー」
その謎が解けた映画だ。
この映画はワシントン、ニューヨークを舞台にした映画で、ニューヨークの地下に財宝があるという話だ。
国会議事堂とリンカーン記念館前で話すニコラス・ケイジ。現場を見たばかりなので、字幕なしだったがのめり込めた。
グランドゼロ
さて時間は戻り、翌朝は「2001年9月11日の同時多発テロ」
そのツメ跡が残るグランドゼロ(貿易センタービル跡地)へ向かう。
この時期、ここはある種の観光名所となっていた。
当時勢いのある安藤忠雄さんが、跡地利用の案をプレゼンしていた。
2024年現在、3.11を経験、その後、熊本、長野、新潟、能登と災害に襲われている日本。この人災に対しては何とも言えない。
セントラルパーク
仕事を終えた土曜の朝。セントラルパークをジョギングした。
ニューヨークマンハッタンでの最後の朝、朝6時に起きる。
30分くらい、ぼっけとしてから顔を洗い、トイレを済ませて、持参したランニングウエアに着替える。
昨日買ったヤンキーズのキャップをかぶり、発汗した分とこれから発汗する汗の分だけミネラルウオーターを飲む。
「よーし、いくぞ」私は寝ているD田さんを残し部屋を出た。
ホテルを出ると寒い。5月中旬とはいえこの時期としては暖かい日が続いていると現地のガイドは言っていたが、湿度がない分肌寒く感じる。
7時前、さすがに人は少ない。少し走るとセントラルパークに入った。木々の香りがする。新緑の季節のセントラルパーク、今走らないでいつ走る。地図を見るとくっきり長方形の公園である。
北側のハーレム地区はあんまり治安がよくないので、そこを避けて走ることにする。
旅行のたびにその都市や町で、早朝ジョッキングをしているが、海外の都市では、公園でも危険な地区があるので、事前にジョガーなどを見つけてその地域の走る定番コースに目星をつける。
しかし、ここニューヨークではその必要はなかった。セントラルパークしかないのである。
パーク内には意外と大きな舗装道路がある。そこを何台ものロードバイク(自転車)が走り抜けていくのを目にする。
カラフルなウエアが公園の緑に映える。皆、TT(タイムレース)なみの速度で走っている。土曜日の朝とはいえ、ニューヨークは侮れない。
でも、さすがに鬼の形相で走るロードレーサーを見て、ちょっとおかしいと思ったら、クラブ主体のレースを開催していたのだった。納得だ。
1台20万円近くするカーボンリムを付けている自転車を何台か目にする。本体含めれば50万円以上はする。さすがニューヨーカーは金持ちだ。私なんか、20万円のMTB(マウンテンバイク)を買うか買うまいか悩んでいる。
でも、これ見よがしにバイクで疾走するニューヨーカーを見ていると、購入しようと決意する。
さて、公園の中は池あり、広場がありと映画で見た風景が随所にある。
それだけでも退屈しない。7時過ぎると急にジョガーや犬の散歩などをする人が目立ってきた。犬はほとんどリードを外している。
何匹かは走っている私に近づき舐めてきた、しかし吠えるような馬鹿犬はいない。それでも飼い主は 「I'm sorry」と声をかけてきて、「いい天気だね」と言ったりする。
いい感じだ。
パーク内のジョッキングは気分上である。そんなおり、前方に見たような日本人を発見。なんと同行した編集者のT田さんと遭遇。
この広い公園内でこんなに朝早く出会うとは、世の中偶然が必然なのだ。
T田さんも朝のパークを楽しんでいたようだった。
ジョギング中、デジカメを持ってくるのを忘れてたので、写真はなし。
その後、ハーバード大学も散歩したので、その写真を少し。
2005年、アメリカニューヨーク、いい感じの街だった。
実はスミソニアン博物館のも行ってる。材料が多いので別途。