SNSの行く末 カオス理論から思いだした殺し屋
Note に2020年の10月7日に初投稿したので、現在5年目に入る。
Noteは私には有り難いサイトである。ここにはまだ未来がある。
Noteを始めた理由
Noteを始めたのは、FBにあったノートという機能が消えてからだ。このノートに投稿した文章、FBのアーカイブを検索してもなかなか見つからない状況になり、私以外の人間が読む事は不可能になっていた。
その代替えとしてブログ的なものではなく、ここは重要、ポップアップ広告があまり出ない、そして小説やエッセイなど長文を書けるサイトを探していた。そしてNoteと出会った。
「いいねぇ」早速登録した。
SNSの行く末
最近のFBは閲覧傾向やキーワードなど個人情報を抜いて、AIにより勝手に画面をカスタマイズする。そしてほぼ広告サイトとなった。
こうなると魑魅魍魎の法人、有名人、起業家、詐欺師、興味もないサイトのオンパレードとなる。そして身近な友達の投稿が埋もれている。こうなると利用理由の意味が薄れていき、広告が支配する世界アド・バード的になってくる。
SNSが巨大化し市場主義になると大体同じようタイプのサイトになる。仕事からリタイアして俯瞰する立場だとそれはそれで面白い。
それでも、私の100本以上の投稿が消えてしまった事実。これにはかなりムカついた。バックアップも取ってないので勘弁して欲しかった。
私は長年インターネットの世界にいたが、仕事も本業があるので、それほど深く足を突っ込むことなく生きていた。それでも昨今のこの業界の節操のなさは想像を超えている。個人の利益だけの守銭奴が多すぎる。
大企業となり大きなシステムとして影響力を持った時点で、世間に対する色々な義務と責任が出てくるはずだ。強いては国の発展を担っていく。それが今までの大企業だったが、そんなことを全く無視して、泡銭を儲けて大きくなる。そんな企業ポリシーが台頭する。倫理感のない子供が突然お金を持ったみたいな状態だ。
トム・ハンクス主演の「ビッグ」1988年 が頭に浮かぶ。これと「スプラッシュ」がトム・ハンクスの初期のヒット作だ。
運営サイトの終焉
1990年から自分のホームページを運営していた。一時期は自社のページ、アルバイトで他の法人サイトも構築運営していた。
月日は流れ引退した身だ。今は長い付き合いで、環境問題関係の有名な著者、その方の法人サイトの運営だけになっている。ここもお手伝いして35年目になった。
しかし、その方もかなりの高齢になり、自分の思いもあって、拙著の持続的に発行が継続できるよう30代半ばの人材を指名してノウハウを移行していると言う。身体も相当弱っており、後2年生きられれば何とかなるとメールで連絡があった。
そして最後に、「私からの連絡等が途切れたときは、私の活動が終わったと考えて、ホームページを削除してください」とあった。
このメールを読んだとき、あるミステリー小説の物語を思いだした。
今その本も作者も思いださないので、私が物語を妄想する。
Noteの検索
Noteはあまり検索サイトには出ないと思っていたが、そうでもない、自転車ロードバイクの記事のビュー数が6ヶ月で3700になっている。4年もNoteをやって、550もの記事をアップしているが、アクセスを増やすその種のメソッドは全くやっていない。フォローも少ない私。あり得ないビューだが、googleでキーワード検索すると上位に出てくる。
「そう言うことね、了解した」そうなると、現在は考えられない人がネットへ参加しているので、内容によってはある種の危険が伴う可能性もある。
情報弱者
高齢者は情報弱者だと、ステレオタイプの事を言っている人がいる。それは違うと思う、今の60代は一番パソコンやネットワークを知っている世代。黎明期に悪戦苦闘して、現状にウンザリしている世代だ。
今時のスイッチいれたら即ネットへ繋がる時代ではないので、コンピュータやインターネットの基本知識も持っている。そして会社で先頭になって業務を情報化した世代だ。
社内、家庭内ネットワークとクライアント・サーバシステムを構築して管理していた時代。オンプロミス、分散化システムを牽引した。
今はクラウドを繋いで全てがブラックボックスのシステムにお金を払って使っている。そんな世代に情報弱者とか言われたくない。そう思っている爺さんも多い。知識とは経験に基づいて確かなものとなる。
私見だけど、今は情報異常者(私が作った言葉)が多い。特に最近のネットは「正義=魔女狩り」になっている。人間なんって適当な生き物なのに、コンピュータのようなON/OFFで、物語の伏線を回収する。それが神として崇められる。「それなら情報弱者でいい、うんざりだ」と高齢者は思う。
人間なんて、不確かな生き物、1人として同じ人間は存在しない。犬や猫と同じ様な生き物だってことを忘れている。
誰だって、昨日言った内容を忘れて、違う意見を言ったり、またいい加減な話を書いてしまう。人工知能がカオス理論を理解出来るはずもなく、人の動きの予想も未来も分からない。
「ちょっと何言っているのかわからない」が自然だ。
先の殺し屋の話の作者をようやく思いだした。
野沢尚さんの小説「殺し屋シュウ」
内容を確かめたいが本が手元にない。
ちなみに野沢尚さんは既に他界している。2004年、44才で自殺した。これにはかなり驚いたが、やはり人の心はカオスだ。