散歩のひと マンネリ化をどうする 取りあえずバードウォッチング
マンネリ化
コロナ禍に急性心筋梗塞倒れ、生死の境目を漂ったが生き残った。
長年にわたり築きあげた会社も、時代の変化についていけずに解散。
亡くなった親の最後の形見として残る実家も処分した。
子供達はとうに成人している。
なんとなく人生の全てのタスクを終えてしまった。
これからは自由だと言っても、結局年金暮らしだ。
「豊かな老後って一体なんだろう」と考える。
すごろくのゴール1歩手前で、スタートへ戻るとなった気分だ。
コロナ禍に入ると同時にNoteを始めた。
現在・過去・虚実取り混ぜて色んな話を書いたけど、「新鮮さ」や「初期衝動」がなくなり、「充実感」も消えつつある。
「未来」「希望」もないが、「後悔」だけはあった。
そろそろ70代だが、やる気がわかない。「70歳が老化の分かれ目」と言っている和田秀樹先生曰わく、「やる気が失せる」事、それは前頭葉の萎縮と男性ホルモンの減少によるものだと言う。
「そうなのかぁ、違うだろう・・」
これはマンネリだ。飽きたのだ。結構好き放題に生きている。
ルーチンワーク
最近見た映画「パーフェクトデイズ」主人公の平山は毎日ルーチンワークを続けている。そして幸福そうだ。
「何故だろう。わからん」家でパソコン相手にぐずぐず考えていても良いことはない。歩くことにする。
ようやく散歩のひと
天気がいので、近くの野川沿いから公園など緑地中心に歩く。多摩地区はまだまだ緑地が多いので散歩は楽しい。
季節は冬。暖冬だといっても虫や花との出会いは期待出来ない。しかし野鳥観察にはいい季節だ。
この時期、里へは多くの小鳥が降りてくる。また木々の葉が落ちて、見通しが利く。
カワセミ
これはオスだ。くちばしの下の色で判断出来る。カワセミは野鳥観察では人気の鳥だ。飛んでいるとき羽根がルビ色なので気づきやすい。
ジョウビタキ
これはオス。羽根の色が違う。カッ、カッと鳴く。この音が火打ち石を叩く音に聞こえたことから「火焚き(びたき)」と呼ばれている。
コゲラ
一番小さいキツツキだ。つがいでいた。嘴で木を撃つ音が心地良い。
キツツキは木を縦に登るのが特徴だ。
「君たちはどう生きるか」のアオサギ
アオサギは古代エジプトではベヌウという聖鳥で壁画にも描かれている。神の使いの鳥で、日本でのとらえ方とかなり違う。
北アメリカ北西部の部族では、幸運の鳥、アオサギは決断力の象徴としている。アオサギが川にいる魚を正確に捕獲できる一瞬の判断力や決断力を持ち合わせているからだという。
映画が北米でヒットしているのが分かる。
三鷹の野川沿いにアオサギが1羽いるオスだと思う。
スピリチュアル的な鳥なので、見かけると少し運気が高まった気になる。
これからの生き方
さて、バードウォッチングをしながら、漠然とこの虚無感の理由を考えていた。
最近読んだ「山旅犬のナツ」服部文祥さんの本がある。
この方は登山家で、過去「情熱大陸」のテレビ番組において「栗城君や野口君は市民ランナー」「登山家として3.5流」「野口君もアルピニストと言うけど、本当にアルピニストを目指している人を侮辱している」と論じて話題になった人だ。
本を読んでみると人柄的には犬の怪我でもおろおろするような人で、偉そうな雰囲気はない。野田知佑さんのような豪胆さんもない。
発言はマスコミ得意の切り取りなのだろう。
彼が北関東の廃村の古民家で受けたインタビュー記事があった。
その言葉が本質を突いていると思った。
真実は「生活」の中にある
会社勤めを辞めて、近所を散歩していると周りに沢山の人が住んでいることに改めて気づく。働いていると、ドア・ツウ・ドアの生活なので、住んでいる地域を詳しく見ている暇はない。
ここは低層住宅地区なので一戸建てが多い、農家も多い、学校、スーパー、公園、体育館、色々なものがあり、皆が「生活」をしている。そしてルーチンワークを繰り返している。
それでも人々は徐々に入れ替わっていく。そして知らぬ間に自分達が違う場所へシフトしていることに気づく。
若い夫婦だった時代、子供ができ学校が始まり、地域社会へ溶け込む時代。子供達が大学生になり大人になっていく。最後は老夫婦だけの時代となる。今がそうだ。
つまり日々のルーチンワーク「生活」の中の先に次の世界がある。
自分の生活の中に「未来」がある。
なんとなく分かった気はしたが、一眠りすると忘れてしまう。
そして、また散歩(ルーチン)を繰り返す。
そして普段気づかないことに気づく、なんだか少し変化がある。
それが次に繋がるのだろう。
まぁ、結論はない。
冬の竹林
冬、竹林は青い。青葉の季節だ。
竹は俳句において、「竹の秋」は春の季語、「竹の春」は秋の季語となる。季節が逆に動いている。タイムマシンみたいだ。