人生の壁 養老孟司さんの説法とペンションメッツァの奇蹟
YouTubeのトップ画面を開く、野球、アウトドア、音楽、養老さんのサムネイルが減っている。その代わりに政治問題やゴシップ記事を喋る人達の派手なサムネイルが増えている。これは悪い傾向だ。
「やばい。やばい」早速音楽を聴きまくる。
ネットのAIが今の自分の検索傾向を先読みする。つまりネットは自分を映す鏡だ。本棚を見るとその人物がわかると言うが、今はスマホを見るとその人物がわかる。でも見ることは出来ない個人情報の壁がある。
養老孟司さんの説法
「人生の壁」を読む。養老さんの本は口述筆記、養老さんの語りを文章にした形なので、読むというより話を聞いている感覚だ。悟りを開いた養老さに説法されている気分になる。
養老さんが、オブラートに包んだ物言いで、人間の業、矛盾を語っている。例えば温暖化対策の話。都市化による自然環境破壊で温暖化しているのに、さらにCO2を削減させる製品を作ることで対策をする。まるでマッチポンプだ。
ダイエットのため、リンゴがいいと聞き、リンゴを食べる。それはさらにカロリーを摂取しただけだ。それと同じ事をしている。
痩せる方法はわかりきっている。食べる量を減らせば良い。
本の中から今回は一つだけネタを取りあげた。
日本は暴力支配の国
鎌倉時代から明治維新、敗戦までの昭和、日本は常に武力を持っている人間が実行支配していた。そう言われればそうだ。
その伝統は世界大戦時の捕虜収容所の例で説明がされていた。
日本人だけの捕虜収容所では、牢名主的な人間が暴力を使ってトップに立つ。そしてそいつに子分が付き組織が出来上がる。
一方、アングロサクソン系の人達は、機能的な組織を作る、元の職種に合わせて適材適所に人をあてがう。
思いだして欲しい。スティーブ・マックイーンの「大脱走」の映画だ。彼らは収容所内に組織的な社会を作っていた。
横道にそれるが、この流れでは、ホンダの初の2サイクルバイク、エルシノアに乗るスティーブ・マックイーンのCMが必携となる。このシーンに憧れてモトクロサーを購入した人も多い。
さて、暴力支配にはそれを制御する仕組みが必要となる。それが日本の「武士道」となっていた。サムライは名誉と金の両方を得ようとしない。名誉だけが行動基準となる。そして昔の政治家は心の中に「武士道」の精神を持っていた。
戦後、アメリカさんの意向で、日本は暴力を社会から極力排除した。
一方アメリカは、今でも銃が転がっている世界だ。だからそのコントロールには長けている。シベリアンコントロールが出来る国家だ。
その一例として、アメリカでは暴力的だが詩的な文学となる犯罪小説があり、これは日本人に書けないと言う、そして養老さんが敢えて紹介した小説。それがなんとボストン・テラン 「神は銃弾」だった。
「養老さん、わかってらしゃる」
ボストン・テランは私の大好きな小説家の1人だ。
今の日本は金と名誉の両方得たい政治家。欲ボケ、色ボケ、守銭奴「武士道って何?」となる。
何時までも政治と金 SNSがどうのこうのと、ある意味どうでもいい課題を永遠とやっている。そんな彼らがシベリアンコントロール、つまり軍隊をコントロール出来るわけが無い。
その事実を国民はよく考えておくことは重要だと養老さんは説いている。
さて、奇蹟の話をしよう。
このエピソード4、最後に奇蹟が起こる。
この風景を見ると八ヶ岳の麓、フォッサマグナへ行きたくなる。
今年の春から夏、茅野市や北杜市、八ヶ岳方面にキャンプ、グルメ、登山も含めて5回行ったが、秋、私が腰部脊柱管狭窄症で動けなくなり、紅葉の季節の旅行は出来なかった。
12月の奇蹟
土曜日、神保町
年に2回ライブを開催するおっさんバンド、13年経つと爺さんバンドになっていた。そのバンドのライブ前日だった。私は練習のために神保町のスタジオへ行った。
神保町には会社の事務所があり20年以上通っていた。このスタジオへは事務所から歩いて行けるので、ギターを事務所のロッカーへ入れっぱなしにしていた。事務所から西神田の裏道を歩く、好きな道だ。御茶ノ水小学校の横の道には讃岐うどんの名店「丸香」がある。相変わらず人が並んでいる。横を通る度に今度は並んで食べて見ようと思う。
実は、2021年夏に会社は解散しており事務所は無くなっている。そんなことで、私は自宅からギターを持ってバスと電車を乗り継ぎ神保町へ向かった。神保町の駅を降りると、亀澤堂の豆大福を思いだし、店に顔を出すが売り切れだ。この辺りは美味しいお菓子屋が沢山ある。
一通り練習も終わり、帰宅し玄関の前でポケットをまさぐる。
「あれ、鍵がない!」
どうやら家の鍵を落としたようだ。スタジオに確認するが、見つからない。徒歩、バス、電車、落とす場所は沢山ある。今回は諦めるしかない。気持ち的には落ち込む。老化だ。痴呆だ。色々ある。
日曜日、ライブ本番
午後6時から五反田のライブハウスでライブは始まった。8時半に終わり、その後打ち上げをおこない。ようやく帰宅する。
木曜日、プール
私は午後2時半頃、近所のプールへ行く。色々と体調不良もあり、ひさしぶりのスイムだった。体が重い。水の中でも体が重く感じる。
市内在住でジジイなので利用料金は100円だ。
トライアスロンを1985年から始めて30年以上、最低でも週一で泳いでいたが、2021年に心臓(心筋梗塞)のトラブルで、ステントを入れてから1年のブランク。回復し泳ぎ始めたが、半年後、今度は免疫不全から全身に湿疹がでる。これは治るのに1年かかった。そして3ヶ月前に腰部脊柱管狭窄症で足が痺れて歩けなくなった。全く想定外に身体がぼろぼろだ。それでもなんとか復活できたのは嬉しい。
練習だけど1200m程度のインターバルでも疲れる。でも久しぶりに感じるスイム後のだるさだ。「この疲労が気持ちいい」と歩いて自宅へ向かう。
12月なのに陽射しが暖かい、帰宅途中にある一戸建てのローフェンスに見慣れたものを見つける。「あれ」「なんで、ここに」
なんと、そこに無くした鍵があった。6日ぶりだ。
不思議な気持ちと、これって何かのトラップとも思ったが、そうではない。たまに公園なんかで、子供の上着、靴など落ちていると、近くの木の枝にかけたりする。これは探しに来た人にわかるようにするためだ。それでも、その小さな鍵を見つける可能製は限り無く少なかったはずだ。
久しぶりに見えない力を感じた。自宅に戻り、鍵に付けていた娘2から貰ったお守りの御札にかかれた鬼にお礼を言った。
「ありがとうごぜぇいます」何故か江戸時代の町人なる。