会社を辞めて1年、色々ありすぎた
64歳と9ヶ月で会社を辞める
2021年5月30日に会社を辞めた。
40年間のサラリーマン生活を終えた。
ようやく1年経った。
その間色々ありすぎた。
1年前が遠い昔に感じるほどだ。
会社も解散
昨年の手帳を見るとこんな感じだった。
5月30日に退職。
6月は事務所の整理と雑務のため、週1日ほど事務所に通っていた。疫病蔓延中だったのでちょうど良かった。
7月も同じ感じで雑務をこなしていた。
実は辞めた会社自体も、8月末で20年の歴史閉じる予定だった。だからこの雑務は会社解散のためのもの。それも無料奉仕だ。
この会社、殆ど自分と社長とで立ち上げたベンチャー企業。20年間潰れずに利益を出していた。リーマンショック、政権交代による不景気、東日本大震災、疫病蔓延・・この20年の世情で潰れもせず生き残った。奇跡に近い。
会社にはその恩もあるので、事務所を撤退する最後まで見届けるつもりだった。
それでも自由になった
とは言え、長い間、40年間働いて、結婚、子育て(3人)、親の介護(癌)、家のローンも全てが終わった。
自由だ。
少し解放されたい。
とにかく平日に遊ぼうと思い。九州地方の梅雨明けを待って、7月19日から3泊4日で、妻と娘1とで天草へ、シーカヤックツアーに行く。
しかし運悪く海が荒れてしまい、シーカヤックは出来なかった。
ぎりぎりまで可能性を探ったが、苓北の海水浴場で断念。
天草の海はこんな感じだ。綺麗で静かな世界。
写真は娘1だが、天草観光の宣伝使われた。
*子供(息子、娘1、娘2)産まれた順。
夏になり、死にかける
最近は梅雨明け後、天候が安定しないことが多い。昔の感覚からズレている気がする。ここ2,3年、恒例の沖縄のシーカヤックツアーも天候に恵まれていない。
天草で不完全燃焼気味の私だったが、平時のスポーツトレーニングは続けた。
私は運動中毒である。
37年間トライアスロン、自転車レース、競泳、アウトドア、常に身体を動かしている。ハムスターみたいな人生を送っている。
そんな一見健康な私だが、想定外の事態、死に神に襲われた。
私の会社の社長曰く、
「男はまず55歳くらいに1回死に神に襲われる。次に60歳過ぎてから65までの間は必ず襲われる、ここを乗り越えれば、とりあえず寿命まで生きられる」
その通りだった。
7月23日、近くの緑地においてマウンテンバイクの練習を終えた後だった。
当日はかなり暑く、熱中症対策として頭に水をかけながら帰宅していた。
そんな万全な状態だったが、家から1キロほどの急激な坂道(短い)を登った途端、目眩に襲われた。熱中症か、いや違った。
急性心筋梗塞に襲われたのだった。
(この顛末は別Noteにまとめている)
救急で病院へ担ぎ込まれ、集中治療室で、2度心臓停止状態となった。心臓専門病院でも、久しぶりの重症者だったようで、助かったのは運が良かったとしか言えない。
カテーテル治療を3度したので、入院は延べ20日、この間は辛く長く感じた。
東京オリンピックを病室で毎日観ていた。当時問題になっていた無観客試合。私にとっては、どのみちテレビの中のオリンピックだった。
8月27日、ようやく退院する。本格的なリハビリも開始した。
自分の仕事はこんな感じ
一方、8月31日、後処理を全て終え会社が正式に解散した。
2002年入社し、会社の運営に加わり20年間、その間、会社という組織の全ての仕事をやった。事務所の内装、電話、ネットワークシステム、帳票、人事、経理、営業、広告、論文、技術開発、お金の回収、現場の施行管理、システム構築、保守、さらに海外視察など旅行代理店まで色々とやった。
色々な人達と会って相談もし、色んな仕事もした。世界を見る視野が相当広がったと思う。
その間、家も買うし、子供達の進学もあり、親の介護、死、葬式、墓作り、色んな諸問題、ジェットコースターのような20年間だった。
この会社に入る前にいた総合電機メーカT社(今や過去の産物)時代の20年は我慢することが仕事だったが、ここでは自分しかやる人間がいない、やるしかない仕事だった。
喪失感
9月、一気に仕事も健康も含め色々なものを失っい、久々の喪失感に襲われた。酷い状態だった。
妻からは、ボケるから食事を作るとか家事をした方がいいと言うが、そう簡単に切り替えは出来ない、頭が実務的に働くので、家事のような仕事は難しい。
リハビリ
まあ、なんとかしよう。とにかく何かやろう。
まずは、37年続けているトライアスロンの練習を再開した。当然、病院のリハビリの医師とか、理学療法士に相談した。後は長年の感で進める。
リハビリは、心臓がメインだが、5月の連休前に故障した膝も治っておらず。今までにないほど慎重に計画的に始めた。休む時間は沢山あったので、気分が乗らなくても毎日続けた。
当初、飲み薬が合わず、下痢と目眩が続き、ここ20年で一番痩せた。
薬は変更し、さらに練習の効果で、10月頃にようやく筋肉量も増えて体重も戻ってきた。
食事も外食をせず病院食なみの食事を続けた。
12月末、CPX検査(負荷試験)を受けた。結果として筋力も心肺機能健常者以上に戻ってきた。
段々と前向きな思考回路も戻ってきた。
復活
2022年3月、久しぶりに車を運転して山梨県北杜市へ行く。20年以上毎年、マウンテンバイクレースに参加した慣れ親しんだ場所だ。
「戻ってきたぞ!今度は熊本天草だ!」
5月の連休に天草へ行く計画を立てた。
海と山、過疎地でもあり田舎だが、海を眺めて、美味い物を食べて、心地よい風に当たった。命が蘇ってきた。まだ生きていることに感謝する。
ほんの少しの違い、それで生死が分かれる。生きていること自体が常に死と隣り合わせだ。死は訪れるものではなく、常に脇にあることを痛感した。
その時がいつかは誰も分からない。今回心臓が止まった時、真っ黒なシャッター降り、意識が消えた。それだけだ。
目が覚めると目の前に医師の顔が見えた。死んだら何もない。結局それしか分からなかった。
天草の神々
親父の祖父の生まれ故郷、天草鬼池は島原からカーフェリーが着く港がある。
一歩、海沿いの国道から道に入ると、過疎化が進んでおり、とても静かな場所だった。
それでも檀家のお寺と氏子の神社はまだあった。ついでに教会もある。
神様が総出だ。
「死なずに、なんとか戻ってきたよ」と報告をする。
これからの話
実際、生死の境目を経験しても性格や人生感が代わることもない。そこで長い間苦しんだとか無かったから、そう思うのだろう。
でも、普通に生きられる時間は、今65歳と9ヶ月だから、後15年程度だ。
何か新しいことを始めるにしても、精々1つ程度しか出来ないだろう。
今やっていることをやり続けるか、新しいことをするか、悩ましい問題だ。
仕事、趣味、社会貢献、なんだろう。もう1回なにかを成し遂げたい。
過去自分がやりたいと思っていたことは7,80%はやり切っている。
参考に並べてみる。
1.ナナハンライダー ホンダCB750
2.大学進学 暴走族だったので、2浪した
3.モータスポーツ(モトクロス)5年間活動した
4.社会人、仕事(発電所、製造プラント、半導体、ITシステム、プログラム、省エネシステム、営業、小売り、ベンチャー企業)
5.結婚、子育て、マイホーム、介護、お墓、柴犬も飼った。人生の一揃い
6.トライアスロン選手、その他(スイム、自転車)37年間 それなりに入賞も優勝もあった。
7.アウトドア、スポーツ(キャンプ、スキー、スケートボード、カヤック、トレッキング)今も続けている
8.バンド、弾き語り 7年間バンドでライブを続けた
9.冒険旅行 少しやった。
10.物書き 雑誌のエッセイの懸賞で、優秀賞を貰う。5万円をもらった。最優秀だったら30万円。
こんな感じかな、だけど私より仕事も冒険もした人達はおそらく沢山いると思う。
その中でもメインはモトクロスとトライアスロンだった。モトクロスはプロを目指し挫折、トライアスロンは生涯スポーツとして続けている。
将来
希望としては、後ワンサイクル(10年)の猶予しかない。何をやるかだなぁ。決めきられない。
ちなみに人生100年なんて戯言は信じていない。
男の寿命、正規分布だと男の寿命は87歳、健康寿命は73歳。
皆さん、本当にあっと言う間だよ。予測だけど最近の若い子は、食生活の問題から早めに死に神が来ちゃうかも。
健康寿命の定義「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」
さて、本題として、このままトライアスロンなどの競技を続けようと思ったこともある。しかし心臓に問題がある状態での競技は危険だ。
家族が許さないだろう。最高とは言えないが、ある程度の入賞とかは過去何度かしているので、それほど未練もない。
ただ身体はスポーツをしないと気持ち悪い体質となっている。今でも結局、毎日2時間は練習している。
人生もっとやるべき事があるのでは?と悩んでしまう。
今、可能なら強烈にやりたいことがある。モトクロスコースをレーサーで走りたい。出来れば2サイクルのマシンを希望する。
そんなことなので、中古のオフロードバイクを探しているが、値段が異常で買う気が萎える。10年以上昔のバイクがその当時より値段が高いとか、そんなことしていたらバイクブームも駄目でしょう。
2021年1月、16年ぶりの家族スキー、妻と娘2、このとき1500m 気温マイナス15度で滑っていた。私は凄く胸が痛み、そして疲れていた。その半年後に心筋梗塞で倒れるので、心臓が悲鳴を上げていたのだろう。
ここで倒れる可能性はあった。そう思うと運だなぁ。
折角得た延長戦、有意義に使いたい。
仕事をするかぁ、流石に本来の意味での仕事は出来ない。
仕事は人の為にすることだ。だから自分のためにする仕事は仕事ではない。それは趣味だ。趣味でお金が入ることもある。
妻と関係
ここまで書いたが、まだ大きな問題がある。
「セカンドライフ」とか偉そうに男達は言うが、その前に、子育ても含め、ここまで1人でやれていたわけはない。
家庭を持つと妻の存在が大きい。それを無視して、自分勝手に次の人生とはならなない。
蕎麦打ち、田舎暮らし、世界旅行とか、妻も一緒にと妄想を描いていてもそれは無理かもしれない、あちらにも都合がある。
無職になって真っ当な(妻からみれば男の家事はお遊びだそうだ)家事をやってみたが、趣味も含め大変な仕事だった。
この問題は別途だなぁ、続きとしたい。
ただ、長い人生の中で、家族はやはり自分を成長させてくれた。また本来の意味での仕事をさせる気にしてくれた。
「とりあえず、ありがとうございます」
鯛夢(タイム)トンネル
天草にあるタイムトンネル、この先には何があったでしょうか?
綺麗な浜辺がありました。
サムネイルの写真となる。
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