サラリーマンの練習時間の捻出 補足
モトクロスが始まりだった
先にNoteに、トライアスロンの練習時間の捻出のための通勤自転車の話を書いた。その記憶の呼び水で、その当時の練習時間捻出に関して色々と思い出した。
時間捻出、実際にはモトクロス時代から始まった。
大学4年の春に、左足の大腿骨を骨折して、1年レース活動を棒に振った。
だから私はモトクロスに未練があり、卒業後も続けようと決意していた。
就職は利便性だけで、地元のT芝の関連会社へ就職した。
計画は安易だった。当時の普通のサラリーマンの忙しさを知らなかった。
「こんなはずじゃない」
土日サーキットでの練習と年に何回かのレース出場。加えてバイク整備、とてもじゃないが、まともな社会生活は送れない。睡眠時間は4時間程度だった。
若さ故に耐えていた。
モトクロス引退、トライアスロンへ
就職後、私は時間の捻出とお金の捻出に集中した。会社はレースで目がでれば辞めるつもりだった。
当時まだ大学生だった弟もレースに出ていたので、それに助けられていた。
しかし、たいしたサポートもなく才能も無い自分が、モータースポーツで活躍は望めなかった。初めて努力しても出来ないことはあると知った。
つまり挫折です。
さらに弟がH社へ就職、鈴鹿や熊本へ飛ばされていった。1984年、についにモトクロスをやることは不可能となり引退した。そして食うために仕事は続けた。
入社3年目だった。
その後、ほぼ抜け殻で、時間を持てあましていた私の前に、にんじん(トライアスロン)が出現した。
持てあました力と情熱で、それを追いかけることになった。
昔の会社はイベントだらけ
当時は、社内リクレーションの野球、ボーリング、飲み会。さらに社内旅行、会社の運動会とイベントは多い。
私はそれを嫌っていた。時間を取られるからだ。
しかし、そのリクレーション自体が嫌いなのではなく、取捨選択で捨てなくてはならない。それだけだった。
だから出来るだけイベントには参加はしていた。そして、ますます時間の捻出に努力が必要となった。
退社後に飲み会があれば、朝練習する。寝不足になり、飲めば酔う。
その為、酒が極端に弱いと、皆が思ってくれてありがたかった。
社外の友達が増える
スイム練習はスイミングクラブへ入会した。
選手コースの子供達の練習後、8時からマスターコースの練習となり、大体9時半まで泳いだ。
そして、スイム練習後、練習仲間やコーチ達と日付が変わるまで飲んでいた。
ちなみにモトクロス時代から社外の友達は多い。これは後の財産となった。
秘密主義
当時、モトクロス時代から、それに関する練習、レースは全て秘密にしていた。
トライアスロンも同様だった。
上司や同僚に説明が面倒だったこともあった。また止めろと言われる可能性も大きかった。会社組織は実業団以外、個人のスポーツへの理解は全く無い。そんな時代だ。
一度、ハワイ島にロードバイク(自転車)を持っていき、単独で島(500キロ)を一周して、ついでに4205mのマウナケアに登る(自転車)旅行計画を上司に話したことがあった。
登山は総務に許可を貰えとか言う。
「嘘だろう」舗装路もあるし、問題は高度だけだ。説明が面倒くさくなり、計画は中止しと言って、ダマテンで実行した。
「首ならそれでいいや」当時の私の気持ちだった。
スポーツがブームとなる、しかしバブルは崩壊
1985年、私がトライアスロンを始めた頃、一般の会社組織は、私生活も管理していた。会社の利益にならない活動は阻止されがちだし、個人都合のスポーツ休暇など考慮してもくれない。
モトクロスなどやっているなんって事はとんでもない話だった。
言えば、危険だから止めろと言う会社がほとんどだった。トライアスロンも同じで、そんな異常なスポーツは止めろとなる。
それが、当時の会社組織の考え方だった。
それでも、徐々に世の中が変わってきた。マラソン、スキー、サーフィン、ウインドサーフィン、ロードバイク、マウンテンバイクと遊びのスポーツが多様化し、盛んになり、健康ブームが意識を変えていく。
社内の禁煙もすすむ。トイレも綺麗になった。
楽しむ大衆スポーツが日本でもようやく浸透してきた。
21世紀
練習時間の捻出も楽になっては来たが、一方バブル崩壊で、会社本体が市場経済主義の影響により、仕事が厳しくなってきた。
また、コンプライアンス、エビデンス、パソコンの普及と共にペーパレスだが事務処理が膨大となる。
「どうする俺!」
入社以来、何時でも辞めてやると思い続けて20年、ようやく転職をしたのだった。