スキーでGO! 2021年2月1日 嬬恋スキー場
スキー・リターンズ
2024年7月20日、夏休みにはいりました。
入ったとたん、大規模システム障害。2000年問題の頃からさほど変わってないシステムの脆弱性。
暑いとネットワーク機器類は暴走し始める。そんな恐ろしく暑い日々が始まる。
だから涼しさを求めてスキーの話。
スキーと車
スキーは用具もあり自然相手なので、公共交通機関の利用だと動きが制限される。よって機動力として車がいる。それも雪道仕様。そこが結構ネックとなる。
だけど、昔に比べれば車は高性能になっている。最近流行中のSUVも沢山走っている。でもこのSUVはスキー場ではあまり見ない。
SUV(Sport utility vehicle)ってスポーツ多目的車だろう。
この車は何処を走っているのだろう。そして、何故アウトドアで使用するのに、まだ問題が多いEV仕様にしているのだろう。電池切れの恐怖と重すぎる車重、重い車は雪道には向かない。雪の坂道で落下する。
最近のSUVはスキーなんか行くと、車は汚れるし痛むからら行かないのだろう。車の下に真っ黒な錆止め塗ってないと、融雪剤の塩害で車が腐る。
おそらく車のコンセプトに合わないのだろう。アーバン向けの車ようだ。
30代の頃(1990年代)、冬になると、愛車レガシーツーリングワゴンのタイヤをスノータイヤに交換していた。当然自分でホイールごと交換するので油圧ジャッキも持っていた。
その頃車でスキーへ行くと、使っている車は大体ボロボロになった。
自爆も多い。私も山道で坂を登り切ったコーナーでアイスバーンに乗って、スピンした。「終わった」と思う間も無く、除雪した雪山に突っ込んだ。
これは雪山だったので、自力で脱出。助かった。
MTで4Wのレガシーは運転が楽しい。妻もたまに運転していた。この頃、レオーネからレガシーとスバルの四駆を乗り継いでいた。スバルの水平対向エンジンは素晴らしい。
友達と一緒に行くときは、現場で使っているアマチュア無線をトップの車と一番後ろの車にセットして、連携して走行していた。(携帯電話もない時代)
そんな「私をスキーに連れてって」時代が懐かしい。
結婚して、バブルも弾け飛び、子供も次々に産まれ、仕事もきつくなり、スキー道具は使われなくなり、モノ置きの邪魔ものとなった。
スキー板もスノ-ボードもブーツ類も全部粗大ゴミで出してから、何年経つだろう。2度とスキーなんか行けないと思っていた。
しかし、子供達と2007年の正月にスキーに行った。これは子供達へのサービスだ。スキーくらいは経験させたい。
1度でも経験があると、子供にとって、その成長が大きく違う。子供の1日の体験は大人の3,4日分くらいの価値がある。大人と吸収度が違う。
MTBレース、キャンプと同様に当時の愛車ステップワゴン 2300CC 4WDで、子供3人、妻と愛犬の柴犬も連れて雪道を行く。
常に移動は大所帯だった。
山に入り、轍の高い雪道をゆっくりと走っている時、キツネが何故か併走してきた。
「キタキツネだ!」子供達が叫ぶ。ムツゴロウ王国の見過ぎだ。普通のキツネだから。この時は、スキー場でニホンカモシカにも遭遇した。
このステップワゴン、14年乗り廃車とした。子供達が成長し免許を取って初めて運転した車となって、その生涯を終えた。
子供達も大好きな車だった。
時は流れて、震災、天災、疫病、自粛、引き籠もり、と気分の滅入る年月が過ぎた。
2021年1月末、疫病で、応援自粛の箱根駅伝、そんな辛気くさい正月も終わった頃、突然妻の妹夫婦にスキーに誘われた。彼らはスノーボードだけど。連れ行ってくれるという。
おそらく、このご時世では身内くらいしか誘えなかったのだろう。
「お父さん、留守番?」娘2が言う。
「行くよ」このくそみたいな世界にウンザリしていた。
「私も」と妻も言う。
「やったー、家族でスキー」娘2が喜ぶ。20歳を越えた娘2とスキーツアーだ。彼女が小3の時以来だ。
我が家の子供達 息子(長男)、娘1(長女),娘2(末っ子)
スキーでGO!
私はとって15年ぶりのスキーだった。自ら車運転し、夜通し雪道を走って行く気はしないが、便乗なら望む所だ。
弟夫婦はオラオラ顔のエルグランドに乗って来た。大きさは十分だ。スノータイヤも履いている。
同行者は妻、大学3年(体育大)の末っ子(娘2)、彼女はスノーボードではなく、スキーの練習だということで参加した。
娘2は私がスキーをする姿を小3の時に見ただけで、ほぼ記憶にない。
「爺さん、大丈夫なの」と心配する。最近劣化が激しい、実はこの時にはかなり病魔に蝕まれていた。
一方、妻の「スキーが出来る」という言葉は信じている。
私の言葉は信じてないようだ。
俺の話を聞け
妻も娘2もバレーボール部、妻は50歳まで、ママさんバレーボールの選手でもあった。二人は仲がいい。
娘が高校の頃、二人が家の前の道でサーブ、レシーブの練習をしていたことがあった。
「サーブ打たせて」と参加する私。
「出来るの??」娘2
普通にコントロールしてサーブを打つと、
「へー、普通だ」と娘2
「まあ、なぁ」と笑う私
「なんか、むかつく」娘2
私は普段、自転車レースやトライアスロンしかやらない。娘2はこの手のスポーツをする人達は、球技が下手、運動音痴だと思っている節がある。体育大のあるあるだ。
妻はスキー教室で習った過去があるので、出来る人らしい、爺さんは出来ない人と思っていたようだ。
深夜の出発
深夜出発して関越を走り、群馬から嬬恋へ向かう。夜5時頃スキー場に到着、エンジン駆け放しで、駐車場において仮眠を取る。
「懐かしい、この私をスキーにつれってパターン」
ゴンドラでGO!
朝8時、外はブリザード、吹雪いている。
サロモンのスキーセット1式をレンタルした。最近の短いカービング用の板だ。
リフトに乗ったら凍死するだろう。かなり気温が低い。ゴンドラで上まで行く。気温マイナス11度だ。「目が覚める!」
娘2はヘルメットを被っている。体育大なので、スキーも一応級を持っているようだ。よう知らんけど。普段はスノーボードがメインだ。
最近の傾向として、若い子達はヘルメットを被る。
前が見えないほどガスっていた。マイナス11度、スマホの充電が一滑りで、10%以下になるくらい寒かった。
目の前は真っ白、全く雪面の状況がわからず、直ぐに新雪で板を取られ転ぶ、腕を突くとズッボと沈む。
「大丈夫」妻、娘2が心配顔をする。
「いや、いや、久しぶりだから」いい訳が空しい。私自身が心配になる。
朝一、パウダースノーを滑る、段々思いだしてくる。ちなみに私は我流。妻は一応10代にスキー教室で基本から学んでいる。安定した滑りだ。
「無理しないで」娘2に心配される親父。その後、2024年には夫婦喧嘩で説教までされる私。
ゴンドラ 2本目、雲が無くなり、晴れてきた。気持ちいい。
浅間山をバックに、1枚。
午前中に上から2本滑り、昼飯を食べた後、私は体の調子が今一なので、ここで止めた。何か最近、体の調子が悪い。たまに肩や胸が痛む。今日も胸が痛い。
それもそのはずで、その半年後、マウンテンバイクの練習中に急性心筋梗塞で倒れた。それも重症で一時期死にそうになった。いやいや、一瞬死んでいる。その顛末はここで。
帰宅時、碓氷峠で、峠の釜めしを食べる。懐かしい味だった。