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カヌー・ツーリング(那珂川)

 昔々、消費税が無かった時代。この税金は1989年の春から始まったのだ。
1978年代、大学1年生だった。仲のいい友達から誘われた。
「夏のバイトの金が入ったので、なんか高級な食事をしようぜ」
「バイト代を全てバイクに使ったから、俺は一銭もないよ」
「いいから、奢る」
「ならいくべ」

 そして、店と場所は忘れたが銀座か何処かの洋食レストランへ飛び込む。
平日だったから席があった。今考えると末端の席だ。
昼飯だけど、御茶ノ水にあるC大学の140円のA定食しか食べてない。
よって十分にお腹は空いている。準備ばんたんだ。
メニューが分からないので、取りあえずコースを頼む。

 酒好きで、姉貴がJALの国際線の添乗員、結構高い酒をしったかぶりする友達が調子に乗る。
「じゃあワインも」
赤ワインを1本頼む。ティスティングなんか初めてだったが、そこは知ったかぶりをした。
酒を残したくないので、がぶ飲みする。
かなり酔った状態で、私は食事を終えた。

 忘れてはいけない1970年代、街の定食屋では消費税はない。
その友達は持参金の30,000万円を全部食事代に使った。
そして会計
「33,000円」と請求される。10%の飲食税がついたのだ。
当時は高い食事料金には税金が課せられる。これは贅沢税だ。当時の日本人はまだまだ貧乏だった。

「あれ、金が足りない」
「俺も、ねーよ」
銀行のATMもこの時間ではやってない。
友達は店に学生証をおいて、翌日支払うことにして、その場をやり過ごした。
これでどこの大学の馬鹿学生かが、わかってしまった。

カヌー・ツーリング
 さて、何時もの無関係な前書きから始まり本題。
あの憧れの野田知佑さん、2022年3月27日(84才)に亡くなった。これは悲しかった。私は野田さん+ガク(犬)+佐藤(写真)の頃の書籍が一番好きだ。その後、環境問題の人寄せパンダとなっていたが、その後、子供達への遺産としての川ガキ講座を残している。
お袋の命日が3月30日なので連鎖して思いだしている。

 私がカヌーの一種としてフォールディング・カヤックを知ったのは、野田知佑さんの本を読んでからだ。
「これは、便利だ車のトランクに積める」
1991年、野田知佑さんの生き方への憧れもあり、フジタ製のカヌー(フォールディングカヤック)を購入した。
妻も欲しいというので、後にもう一艇購入した。

 さらに会社にいる同じ大学、同じ研究室の後輩スギちゃん、彼も同じカヤックを持っているという。これはいい。
「なら行きましょう」
カヌー・ツーリングへ行く話がまとまった。

フォールディング・カヤック(カヌー)
 フォールディング・カヤックとは分解可能な組み立て式のカヤックのこと。1907年にドイツのクレッパー社によって世界で初めて製品化された。
日本では1980年代にアウトドアブームと相まって野田知佑氏の影響から普及した。1990年当時、国産ではフジタ製のフォールディング・カヤック一択だった。

フジタカヌーSS-1
フォールディング・カヤック

組み立てました。このタイプのカヌーをカヤック、そして分解出来るカヤックをフォールディング・カヤックという。総称はカヌー。

那珂川へ
 7月の下旬、天気も晴れ。那珂川でカヌー・ツーリング中だ。
メンバーは私と妻と後輩のスギちゃん。頭の上の太陽が全開で照りつけている。そんな暑い日差しのなかでカヤックを漕いでいた。
川の上は涼しい風が吹いていたので、暑さはそれほど感じなかった。

 那珂川は鮎釣りのメッカでもあり、この時期は鮎釣り解禁直後、だから釣り師も多い、そして気が急いている。
 川のど真ん中で長い竿を振るっている釣り師を発見する。
かみさんとスギちゃんは釣り師から右側へ進路を取ってかわした。
私は、右側にかわすスペースがなくなったので、左側に進路を取り、釣り師をかわした。

 すると急にカヤックが岸へ吸い寄せられる。見ると 左岸がえぐれて竹が数十本水の中に没して、そこに水が凄い勢いで流れ込んでいる。テトラポットの原理だ。あたふたしている間にカヤックは流れに乗り竹にぶつかり転覆した。

 頭が逆さになり、水面が見えていた。見えたのはいいのだが、今日はコンタクトをしている。これはやばい状況だ。コンタクトが水に流れたら、目が見えなくなる。
私は、あわててカヤックから抜け出し水面に顔を出した。目の前では、カヤックが竹にばちばちと船腹を当てながら前へ進んでいる。ここで、カヤックが竹に引っ掛かるとかなり危険な状況に陥る。私は必死にカヤックを前に押し、ようやく竹から離れ、カヤックは流れ始めた。
「助かった」

 カヤックと一緒に流されるなか、周りを見回すと、カヤックに積んでいた。色々な物が一緒に流れている。ビーサン、防水袋にいれたカメラ、アクエリアスのペットボトル、それらを拾いながら、水流の遅い淀みの中に入った。 私はゆっくりとカヤックを岸によせた。少し先の岸に妻とスギちゃんがカヤックを接岸していた。

 「池崎さん、大丈夫ですか?」とスギちゃん。
「平気だよ」
「もー、びっくりしちゃった」と妻。
「濡れたけど、気持ちいいよ。荷物も全部拾ったしね」
負け惜しみを言ってはみたが、心臓はばくばくだった。
愛用のパタゴニアのパンツもびしょびしょになったが、なんか楽しかったのは事実だ。

 那珂川は栃木県から太平洋夫へ流れる。関東のカヌー・ツーリングのメッカだ。関東の四万十川と呼ばれているほど綺麗な川だ。
これは上流に余り人家や、工場がなく、生活排水、工場排水が流入してこないおかげだと言う。地方の過疎化のおかげかもしれない。(1989年当時)

 しかし、那珂川は日本の他の川の例に洩れず、夏のこの時期は鮎釣り師が多い。カヤック初心者マークの私達は、釣り師を避けるのが大変である。
初めのうちは、川の流速を考慮せずに、進行方向にパドリングして、釣り師を避けようとしたので、始終衝突しそうになった。 本当は減速しながら進行方向を変えるのだ。(イラスト参照)

カヤックの基礎

カヤックの基本 雑に説明する。

ストリーム・イン
漕ぎだし 川へ漕ぎでるときは本流に向けて漕ぎだし、回転して流れに乗る。本流と同じ方向へ漕ぎでると、川岸に追いやられ激突する。

ストリーム・アウト
接岸 川から川岸に着けるとこは。回転して本流側に向けて漕ぎながら岸に艇を寄せる
流れに乗って川岸に向かうと川岸に激突する。

フェリー・グライド
川の中で障害物を避ける
川の流れに斜めに艇を向けて、後ろに漕ぐ、艇が横に動いていく。
前に漕いで避けようとすると速度が出て激突する。

 もう一つ問題がある。川の水量の少なさだ。喫水が浅いカヤックでも、たまに川底に引っかかってしまう。
特に、このメンバーで一番カヤックの喫水を深くしているスギちゃんは、カヤックを頻繁に川底に引っかけ立ち往生をしていた。

 昼になった。私達は大瀬の鮎取り用のヤナ近くに、カヤックを止めた。ここで昼飯とする。
浅瀬に座礁させ、カヤックから出て、船を跨いだ。足を川につけると涼しい。セブンイレブンで買った弁当を各自で頬張る。 

 川のせせらぎが夏の日差しで眩しく輝く、ここは中流域なので青空が大きく広がっている。木々はこれでもかと深い緑色をしている。ついでに昆虫類もぶんぶん飛び回っている。それでも川の中にいるので虻や蝿は川面を吹く風のため近寄ってこない。
「気持ち良いぞ」

 今回、私達は、那珂川における一般的なコースを下った。烏山から御前山までの20km程度の川下りである。通常は日帰りコースなのだが、スタートが午前11時と遅かったため、山の中なので、暗くなる前に御前山に到着して、上流の烏山に置いてあるレオーネを取りに行きたいと思っていた。

那珂川ツーリングマップ

 つまり時間的に4時間で川を下る必要があった。
冷静に考えれば結構ハードな行程であった。しかし初めてのカヌー・ツーリング、時間が読めない。昼飯の時点で、だれも時間の事に気づいていなかった。

 大瀬からは、水量の少なさから、流速が遅くなった。漕いでも、漕いでも進む距離は少ない。腕の筋肉もかなり張ってきた。このままでは妻が怒りだすのも時間の問題である。
ついに怒り爆発!
スギちゃんは気づかないかもしれないが、あのやけくそのパドリングは怒っている証拠だ。
妻は先頭に立ち、みるみる遠ざかっていく。怒りパワーである。
怒る前に、何故このパワーを出さないのか今もって不思議ではあるが、今更それを指摘しても意味が無い。

 その後は休憩もなく、耐久レースの様なパドリングを続け、ようやく夕暮れ迫る御前山のキャンプ場に到着した。時間的にキャンプ場は夕食の香りに満ちていた。
へとへとの状態で食べる物もない私達には酷な仕打ちである。

 妻はますます不機嫌になり、腹がへると無口になる私。その不機嫌な2人に挟まれたスギちゃんは何故か笑顔で言う。
「疲れましたね、日帰りはやめましょう」
この時、彼は出世するだろうと確信した。やはり後年、役職となっていた。

那珂川、ライフジャケットが古い、デカい

 ビーパルも当時は良い本を沢山だしていた。当時ネットも無い時代には重宝した。この努力は凄い。

日本の川地図

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