個人的な教育の話23 日本語が読めない?
大谷さん、2024年10月21日 ワールドシリーズへ出場!
やはり生活環境とつき合う人を変えて、タイミング(計画)が合えば成功する。大谷さんエンジェルス時代と人間が変わってきた。結婚の影響も大きいけど、やはり本人が凄い。
日本語が読めない
「日本語が読めない、読解力がない日本人が沢山いる」そんなことを昨今、頭のいい僕達族(女性も含む)=インテリ達が言っている。
AIはMARCHクラスの大学へ楽勝で合格する。教育が間違っている、なんじゃらかんじゃら・・・と付帯するお話。
俺達族=暴走族(50年前)だった俺は言う「そんなの昔からだろう」と思っている。俺は昔から日本語を読めていたとは思えない。まず漢字が読めない。熟語も難しい。
この定説として、まず本を読まなければ、読解力はつくはずがない。水泳のバタ足も出来ないのに、バタフライが出来るわけがない。
今どきの人は、1ヶ月に1冊、それも実用書を読む程度、それでもマシな方だろう。学生も壊滅的だ。
それなら、小学校での英語、プログラムなどの授業を止めて、読書会にすればいいだろう。読まなきゃ読めない。好きにもならない。
それと、最近の本はアルファベットを羅列した文章が多すぎる。日本語で書けばいい。MARCH=明治、青山、立教、中央、法政大学でいいだろう。略す必要もないだろう。
読解力の問題
ネットのニュースに例としてあった問題だが、これには凄い違和感を覚えた。ここで少し考察してみる。日本語の読解力のテスト問題らしい。
「はて?」
「これは日本語読解力の問題なの?」
こてこての日本人はアルファベット=記号として認識している。それを脳内でApple=リンゴと処理している。これは半分英語のテストではないか?
日本語の読解力問題なら少なくともこうだろう。
これで、脳が一瞬バグって間違える子は少なくなる。
もっと言えば、日本語で問題を作るほうがいい。
恣意的切り取り文章が多すぎ
ネット文章の弊害かもしれない。
映画を観て、全く違う感想を持つ場合はある。文章は映像より情報量が少ないので、読者の力量に左右される。例えば、子育て経験ない場合、細かい子供や親の心理は理解出来ない。だから筆者は説明する。しかし、ここが難しい。書く人の力量も問われる。後、説明が多いと悪文になりがちだ。
ようするに読解力って、一方的に読む側の問題だけでないはずだ。
切り抜き文章(相当少ない情報)を読み違えて、それで読解力がないと言い切るにはちょっと酷いのではと感じる。
ついでに先の問題は切り抜き文章だけど、前段で外国人のニックネームの話をしていたら、本当に読解力がないと言える。しかし、元の問題にはカタカナ表記がないので、恣意的なのだろう。つまり引っかけ問題だ。
教育の問題
これで間違えたら日本語が読めないでいいと思う。
それと、進学校なら、こんな説明は不要だろうと言う意見もある。
それは日本語が読めるとか読めないと言う前の話、頭が固い(使えてない)のではと思う。
おそらくその子達が進学校に受かっているのは、塾において正しい回答を叩き込まれているからだ。つまり 1=a 、a=b を疑わないで覚えて回答したからだ。
脱デジタル
最近のタブレットを使ってノートを使わない、特定プラットフォーム内で処理する教育になり益々その傾向が深まっている。それは俺の長年の定点観察からみて、学力低下を招いていると思う。
フィンランド ヘルシンキでは、読解力の低下を招くと気づき、脱デジタル、脱タブレット授業となっている。
世代間の違い
我が家の子供達は 息子(途中から)、娘1(どっぷり)=ゆとり世代 娘2=Z世代。
娘2の時、小学校の教科書が厚くなっていてビックリした。
この中でパソコンを上手く使える世代はゆとり世代だ。パソコンスキルを磨く時間がゆとり教育で多かった。Z世代は定型ソフト(クラウド提供)をタブレット使うだけの世代だ。
ゆとり教育時代、ある中学校の生徒が、学校のパソコンからゲームサイトへ不正アクセスをしていた。それを調べると1台のパソコンをハード面から改造していた。「凄いなぁ」
結局、犯人特定は止めて、対策だけをした。ネット社会が今みたいに劣化してないので、問題にはならなかった。(学校は承認している)
私の感覚ではゆとり教育はパソコン教室や環境(ビオトープ作り)などあり、色々やれる時間が多く、よかったと思っている。なんだかコロナ禍以降、学校も親達も、個性重視、AIを使って自由な教育と言うわりには、マウント取り合いでギスギス感が増した。
そして次はα(アルファー)世代2010年〜生まれの世代。色々来るねぇ、ちなみに私は1956年生まれ しらけ世代です。
次はβ(ベーター)世代か? VHS世代かもしれん。VR世代、メタ世代。
2005年 ワシントンの小学校 日本のゆとり世代が終わった頃に視察した。パソコンは英語をしゃべれない子供達(移民)の教育に向いていると当時は感じた。移民がこの頃から増えていた。
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