個人的な教育の話26 我が家の受験シーズンは2005年から2017年まで続いた
親の学歴
私は自分の親より学歴的に上へ行ってない。親父は大正15年生まれで、学徒動員で兵隊になり飛行訓練中に終戦を迎えた。終戦後、大学へ復学し、理由は知らないが、違う大学へ入学した。
そして28才の時、お袋と結婚した。つまり学生結婚だった。当時は進駐軍で英語を使ったアルバイトをしていたので金回りは良かった。スクーターの後ろにお袋乗せて、新宿まで遊びに行っていた。それとダンスホールで同じく大学生のお袋の兄と遊んでいたと聞いた。
お袋は女学校を卒業後、地方都市にある日本銀行の行員となった。当時としては、2人とも高学歴で知識層であった。
一方、私は都立の工業高校を卒業、ホンダのCB750(ナナハン)にまだ乗っていた。高校時代は暴走族だった。しかし親に怒られた記憶はまったくない。
親父の世代の若い男は7人に1人、200万人が戦死している。そんな犠牲を全く忘れたように日本は変わり、価値観が一変した。その反動なのか、ほぼ放任主義であった。私は人生を自分で決めるしなかった。
勉強が嫌いではなかったので、2浪して大学進学した。当時の大学進学率はまだ40%程度で、工業高校の同期は8割が就職していた。
妻は商業高校卒だ。女子は勉強する必要がないという考え方を持つ父親の下で育った。その考え方に反発して、すぐにでも家を出てたかったという。
そんな2人なので、お互いそれほど高学歴とは言えないし、知識層ではない。この世界を楽しく過ごしたいと思っていた。つまり市井の人だ。
私達はその育ちから、親の影響による学歴コンプレックスはない。だから一般的な大卒の雰囲気はなかった。新婚で引っ越した公団団地で、妻をバイクの後ろに乗せて乗り付けて、団地内に適当に駐車すると、先輩入居者に「危ない、うるさい」と注意された。おそらく、高卒のバカップルだと思われたのだろう。
それと私達夫婦はお互い一戸建てで育っているので、集合住宅のしきたりを全く知らない。さらに一般常識もなかった。だから当初はクレームだらけだった。
その潮目が変わったのは、子供が出来てからだ。それからは近所のおばさん達は色々と妻の助けになってくれた。近くの棟に住む老夫婦は子供達の写真を撮ってくれたりした。
住めば都だけど、やはり、私が住んでいた多摩中北部の教育レベルが高い地域と比較して、学校は相当レベルが低かった。子供達の将来が不安だった。私は行動に出た。家を買い地元へ引っ越し、転勤を避けるため大手の会社も退社して、新しい会社の立ち上げをする事になった。
ちなみに、公団の安い賃貸団地に住んでいる家庭は、大体子供が中学生くらいの時期に家を買って引っ越しをしている。
環境を変える
子供達の教育に関しては、普通のサラリーマンの生涯年収の中央値が1億8千万円。私もその程度だったが、そのお金で以下を実現させた。
娘二人を私学の中高一貫の女子校へ行かせた。
長女の制服の注文に新宿の伊勢丹の別館へ娘と妻とで行った時、都内の老舗の有名私立の制服が見本として幾つも飾ってあり、注文で訪れている親子も、品がよさそうだった。少し気後れする。しかも値段が高い。下の娘の時は、学校内のバザーなどで、安く制服やシャツを手に入れていた。
メルカリをやり始めた妻が、制服が高値で取引されていたことに気づいた。全くどんなマニアが買うのだろう。
また、娘が在籍中、生徒の通学写真がネットで高額で取引されており、娘の友達の写真もあり事件となった。警察が対応しないので、学校と親達が対抗したこともあった。
PTA活動も盛んで、妻もその世界の母親達と親しくなり、会食や旅行などへ行くのだが、それ自体が公立の親達ではありえない。母親達は学校のOGも多くいて、大卒前提で母親達が話をしていた。こうなると妻は難しい立場になる。それでも、ある種の世界を知るには良かったと言っている。
在学生の親父会もあり、私も2度程参加した。これも医者、弁護士、役者とかいた。この程度の私学でこれだから、超エリート私学では、親も大変だ。
大学は3人とも私学
我が家の子供達 3才違いだ (息子、娘1、娘2)
息子は理系 娘1は文系 娘2は体育系、全員私学の大学を卒業させた。学生ローンは使っていない。
学費や諸経費での合算で、高い順 体育系>理系>文系だった。
娘1は学校が滞在費を出す夏期の留学へ参加する。
TOEIC(国際コミュニケーション英語能力)の成績順に選ぶようだ。現地日本語教師のインターシップであった。費用は4,50万はかかった。オーストラリアのホストファミリー達とボルダリングへ行くなどして、アウトドアのスキルを上げていた。
3人とも歯の矯正をした。
歯並びは綺麗に。妻の言うには歯並びで育ちが分かると言う。歯の矯正は骨格が固まる前から始めたほうがいい。10才位から20才くらいまでかかった。
また妻は日常の所作にこだわりがあった。
挨拶、食事の仕方、箸の使い方、歯磨き、と勉強にはウルサくないが、そこはウルサかった。大人になってから値踏みされると言う。今の総理大臣を見ると本当にそう思う。
大学卒業時に普通免許を取らせた。
全額負担する。免許は色々あっていい。特に社会人において、車は運転出来ないと困る。
スイミングは一応選手レベルになるまでスクールへ通わせた。
水泳経験のある東大生の割合は一般の2倍という。
私も30年以上スイミングスクールへ通っており、一時期、家族5人がスクールに通っていた時もあった。
そこで、驚いたことがあった。
水泳の試合はアップと本番とがあり、競技自体は数分で終わる待ち時間の多いスポーツだ。その待ち時間に中高校生は勉強をしている。その割合が他のスポーツでは考えられない程多い。そして進学する大学のレベルが高い。
以上エピソードを交えてお金と教育の話は色々Noteに書いた。
2023年に東京カレンダーの取材も受けたことがある。子育てや教育に関して、疑問も意見もあるけど、やり切っている経験談でもある。
教育費用の話
しかし、対した反響はない。文章の下手くそ問題は置いておき、子供達全員を東大、理三へ進学させたという話ではないからだと思う。普通の大学へ進学し、普通の仕事につく、ただの庶民の話だ。子供に期待をかける親達にとって興味が湧かない。
ただ子育ては子供が偏差値の高い大学へ進学して終わりではない。その後自立して生活を育めるかだ。それが、子育て当事者は情報過多で欲がでるのだろうと思う。だけど子供は滅多に親以上にならない。
子供の自立の話
受験シーズンなのでそのことをここで書いてみた。
中学受験の話
息子は元々公立中学へ進学予定だった。エリア的に市内でも一番行儀のいい子が集まっている地域の中学だ。わざわざ越境してくる子供達もいた。越境する子の中には、地元の強豪リトルリーグに入る、世界的選手も輩出しているテニスクラブへ入る子達もいた。この地域はオリンピック選手も多くいる。志の高い地域だと思う。
それでも、中学受験は一生に一度の経験だからと思い、国立大学付属の中高一貫校を受験させた。ここは私の弟が通っていたので、雰囲気は分かっていた。それほどギスギスしていない付属だった。国立の付属なので、高校になると私服通学だった。自由な雰囲気のある校風だった。
ほぼありのままで受験した結果、落ちた。ここ最近の中学受験の加熱から難関校になっており、弟みたいに簡単に受からなかった。相変わらず、考えの浅い私だった。
ただ息子の中学生ライフは男子バレーボール部で活躍して楽しそうであった。また地域として、爺さん婆さん付きの一戸建ての家庭の子供達が多く、共働き率(2005年)が高くなかったので、部活を親がお手伝いをしていた。そんな家庭的な雰囲気があった部活だった。
ここで思ったのは幼少期に母親が家庭にいる。加えて爺婆もいる家庭の子供は落ち着きがある。いい子が多い。これは私の体験上でも言える。地元でもダウンタウンで育った私は、結構荒れたガキと対決して問題を起こしていた。
そこで育ちのいいお袋は親同士の話合いでも、口が立つし、何時も立腹していた。私が中学3年時(冤罪で)補導された。警察署へ私を引き取りに来たお袋が言った言葉は未だに覚えている。
「あんたね、友達はえらびなさい、ろくな事にならないよ」
これは、その時実感した。彼奴らや、その親達が自分を守ってくれることはなかった。
3才違いの娘1、この子は、私が高校の頃、少し付き合いのあった地元の私学の中高一貫の女子校を受験させた。この学校は80年以上の歴史もあり、著名なOGも多い。大学への進学率は抜群ではないが、私の個人的な好みの子が多い。つまり可愛くって明るく、部活に励み、男に媚びない子達だ。
(勝手な事を言っています)
今回は5年生から準備して、塾へ行かせた。娘1は真面目に通い続けたが、まったく合格判定は上がらずE判定。
そして、ある日驚愕する事を娘1から聞く。
「塾では、よく分からないけど、時間まで座っていて、帰りに買うファミチキだけが楽しみ」
妻と私は、これは基本的な学力がないのだと、元々二人とも落ちこぼれなのでその状況がすぐに理解できた。
早速、対策として自勉をさせる。リビングでの勉強だ。計算力、漢字の書き取り、基礎問題を繰り返す。妻と私が面倒をみた。
元々、真面目な性格で、スイミングでも小柄ながらジュニア選手になっていたので、徐々に成績も上がり、E判定からA判定になったところで受験となった。そして合格した。
合格者の中に同じ塾の香奈ちゃん(仮名)がいた。彼女は当初からA判定で、受験時にはS判定だった。この子とは、中三くらいから成績や色んな面でライバルとなる。部活も同じ水泳部だ。
3年後、今度は娘2の中学受験だった。娘2は生存に関わる問題を抱えていた。小六の夏休み前に1型糖尿病を発病した。これは日本では10万人に1人の発病率で、不治の病だ。生存を続けるには、食事をするごとに、カーボカウントして、インスリン注射を自分でしなければならない。
学校で昼食後に注射を打つ必要がある。また緊急時の手当も要する。公立だと校長が替わる度にその対応が変わる。公務員の嫌な面がでてしまい公立はNGだった。しかし、そうなったら娘が世話になっている大学病院の教授が説明してくれると言う。先生は先生に弱い。
それでも私学しかない、そして出来れば文武両道の姉がいる学校しかない。しかし、勉強嫌いの娘2、練習問題をやらすと、なぜか正解率が高い、疑問に思って、問いただすと。答えを写していたとゲロする。楽するためには手段を選ばない娘2だったが、なんとか合格した。私はこの時ほど、嬉しかった事はなかった。その後、娘2の能力が花開くが、この時はまだ気づいていなかった。
高校受験
娘1,2は一貫校だったので、高校受験は息子だけだった。都立高校を目指したので、内申が重要だったが、息子は部活で活躍していたこともあり、ある程度のレベルの学校を受験出来た。都立でも自校問題で試験をする難関校もあったが、そこまではいってないので、その手前の学校を受験し合格した。
大学受験
基本3人とも、自勉で大学受験した。
息子は、娘2の受験と重なり、放置していたが、受験3ヶ月前から、私の買ってきた赤本の過去問だけやって受験した。第二希望の学部へ合格し、そのまま進学した。もともと地頭は一番良かったので、少し尻を叩けばかなり良い大学へ進学可能だったと思うが、本人は大学に馴染み、今でも友達が多くいる。
秀才の娘1の場合、ライバルの香奈ちゃんが、高二から塾へ行って慶應の英文科を目指しており、それに対抗して早稲田の文学部を目指し、高三から塾へ行ったが、そこの塾長が「早慶以下の大学は行っても意味がない!」という洗脳塾だったので、私が辞めさせた。
ひと月20万(講座の数にもよる)かかる塾は異常だ。こんな馬鹿らしい投資はないと思った。
そして、高校の成績が3年間で4.7(5段階)だったので、指定校推薦が楽勝だった。
「お前、推薦で大学行け、今まで十分勉強しているから問題ない」と偏差値競争から離脱させた。中3で英検の準2級に合格してる娘だ。全く問題なかった。
娘2の場合、姉が優秀なので、私達が気づかなかったが、彼女は勝負強いし、使えるリソースは全て使う。これは受験にはプラスに働く、塾にも行かず、当然C判定ながら、希望校から3月末ころ補欠合格の通知が来る。別の大学へ入学金を支払った後だったので、私としては、「やってくれるなぁ」となった。
娘2は就職した2年後、友達の助言もあり、試験を受けて地方公務員になった。これは彼女の病気を考えると正しい判断だ。
現在息子はまだだが、娘達は家庭をもちつつある。最近の結婚で思うのだが、偶然出会って恋愛し、そして結婚。そのパターンはなくなっている。
結婚の意思を持った者同士が紹介しあう、マッチングアプリで会う方が結婚率は高い。また間違いもないと思う。私の後輩で合コンなどで出会って結婚したカップルはことごとく離婚した。
昔、お節介な親戚が、お似合いだと紹介する候補は客観的にみてお似合いなのだろうと思ったりする。
これは全く適当な話だが、偶然出会い結婚し上手く行く、これは人生2巡目だった人だろう。
ちなみに私は2巡目だ。(嘘)
久しぶりの長文、読んでくれてありがとう。
サムネイルはまた無関係な写真で、27歳頃のモトクロスの練習中の古い写真。40年前だ。今回は個人的な話が多いので、そうした。