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子育て日記 兄と妹 (1995.11~) P3

 結婚してから、日常を日記代わりとして私小説風に書いていた文章。そこには30代の私がいた。

 そのパート3だ。息子の次に娘が産まれた。
この時に娘の育て方の方針を偉そうに書いてあった。そして、今、娘はそんなふうになっている。それは私の願望だったのかと、今更知る。

 娘は大学時代、自転車ロードレースでインカレにも出ている。欧州へバックパックで旅もしている。そして今、シー・カヤック、バイク、ロッククライミングと、小さい体だが、自由にアウトドアを遊んでいる。男(人)に媚びない人生を歩んでいる。

面接
 11月のある土曜日の朝、僕は妻と息子を連れて、幼稚園の面接に出かけた。当初妻と息子だけで行けば良いと考えていた。しかし会社の同僚が朝の3時に幼稚園の受付に並んだとか、新聞などで同様な記事を読むにつれて少しまじめに対応しようと思い夫婦で面接を受けることにしたのだった。

 しかし、ついてない事に、幼虫へ向かう途中で車が追突されるアクシデントに見舞われた。むかつくことに、ぶつけた車はいきなり逃げた。僕は途中まで追ったのだが、幼稚園の面接時間も迫っているし、急遽現場近くの妻の実家に寄り警察を呼ぶことにした。

 僕は仕方なく警察の事情徴収を受けるため実家に残り、警察を待った。
妻と息子は、時間がないので、僕を置いて歩いて幼稚園に向かった。幼稚園は実家から1kmぐらいの距離に位置しているので、妊婦と2歳半児では15分はかかり結構重労働だ。

 僕はやっと来た気乗りしないお巡りから、おざなりの事情徴収を受け、焦って幼稚園に向かって走った。到着するとラッキーなことに、まだ息子の面接は終わっていなかった。
「よかった」

 少々落ち着いた所で待合室を見回すと、僕の予想とは違い夫婦で来ている人は少なかった。僕達以外は2組だけだった。少し落胆したが少し安心した。

 さて面接自体は、先生の質問に対して息子は照れまくり、なにも答えられなかった。唯一興味を持った、かえるや牛等の絵で少し質問に答えた程度である。

 今日は色々あったし、もうどうでもいいやと思ったが、それでも難なく入園許可がでた。
早産まれで2歳半の息子では、あれが精一杯の回答であった事を先生は理解してくれたのだろう。実際はそんな事ではなく、年少組は定員割れだったそうだ。まあ、そんなもんでしょう人生は。

二回目の出産1995年(平成7年)
 12月8日の朝5時、電話が鳴るが起きられない。電話が鳴り終わり留守電の録音が聞こえる。それでも寝床で10分ぐらい、じっとしていた。やっと僕はもそもそと起きて電話に近づき留守電のボタンを押した。

 電話は実家にいる妻からで陣痛が10分間隔になったので、病院に行くと録音されていた。僕は凄く眠かったが、何とかコーヒーを入れ息子の時と同様に長期戦を予想し、取りあえず食える時に食べようと思い。適当な物を腹に入れた。

 前日、インターネットのホームページを作るために、パソコンにキャッシュしてある。参考になりそうなホームページのHTML(HyperText Markup Language、ホームページ専用のブラウザーのハイパーテキスト形式の文章として表示する為の命令を与える言語)を参考にしてホームページを書いていたため、寝たのが午前2時くらいであった。

 寝不足は慣れているので、どうって事ないが、暖房してない寒い家中での食事は辛いなと思っていると、また電話が鳴った。妻のお母さんからで、
「順調なら8時頃産まれるそうである」と報告してくれた。
僕は、朝の渋滞に巻き込まれては面倒なので、早めに6時30分に車を出し、病院に向かった。

 7時に前回もお世話になった中尾産婦人科病院に到着した。病室に入院時、すでに妻の陣痛は5分間隔になっていた。待つこともなく、7時30分に妻は分娩室に向かった。

 息子の時はこれから丸々2日かかったので、まだ先は長いだろうと思い、僕はベンチで昨夜の寝不足を補おうと寝ころび、目をつぶった。

 しかし5分とたたない間に助産婦さんが、「立ち会いますか?」と言ってきた。
「えー、もう」と僕は焦った。「前と違って早いな」「心の準備が出来てない」と思いながら分娩室に入った。

 懐かしいかな3年ぶりの分娩室。独特の消毒液や薬の匂い。しかし余りここには長居したくないのだ。

 さて実際の出産は僕の思いが通じたのか僕が分娩室に入ってからたったの15分、4回目のいきみでベイビーが産まれた。

 女の子だ。自分の目で確認した。息子の時よりも元気がいい。今回はあっさり醤油味の出産であった。
一週間後、名前を『娘1(後が続く)』とした。また、これから大変な生活が始まるわけだ。

DNA
 午前0時、子供もカミサンも寝た。(どうも、子供を2人も産むと、家の妻なんて言いにくいのだ)
また前回に増しって忙しい日々が始またのだが、やはり家族は良いものである。

 これから下の子の娘1の人生も始まるのだが、この子が人間として成り立つには、気の遠くなるような生物情報が伝達され成り立っているのだ。それを思うと娘1の新生児独特のカエルの様な顔にも感慨深いものがある。

 僕の2人の子供、息子と娘1の2人は僕とカミサンの遺伝子のDNAにより、生命誕生の頃からの情報を起源として成り立っている。DNAは染色体という形で体内に存在している。人間の染色体は23対、つまり46本の染色体で成り立つ、一つ多いとチンパンジーになるそうだ。一本違いがチンパンジーだ。

 さて、この染色体は受精時、仲良く僕とカミサンと23本ずつ分け合って子供に遺伝している。これは絶対に変わらない法則である。つまり顔が似ている、似ていないに拘わらず自分の遺伝子とカミサンの遺伝子の50%ずつで、自分の子供は成り立っているのだ。

 となると自分の母と父の遺伝子、子供にとっては爺さんと婆さんの遺伝子も25%遺伝していることになる。これを遡れば人類誕生まで遺伝子が遡れることになる。

 少し話しが大げさになったが、僕が言いたいのは、都合がわるいと、よく親父や母親は、自分の子供に対して、「お前は母親に似て馬鹿だ、性格が悪い」「女癖の悪いのはお父さんそっくりだよ」なんて言っている。

 その自己批判のない馬鹿な夫婦喧嘩に関しての事なのだ。つまり、その手の子供への批判は50%の自分に対しても向けられていることになるのだ。それに気づかず、「遺伝のせいだ」と子供を批判している親の姿は最低である。

 自分の子供は父母、半分半分の遺伝子で作られた事になる。まず自己批判するべきである。それでなければ直接連れ合いに向かって文句を言うべきだ。連れ合いへの批判をするため子供を利用して行うのはよくない。大きな心の傷を子供に落とすだろう。

 子供が自分の遺伝子の半分を確実に引き継ぐと思えば、顔や性格がカミサンや又は旦那の悪い点を引き継いだ子供でも、きっと可愛く思えるはずである。

 DNAに関しては、「あなたのなかのDNA 中村桂子著」早川文庫が非常に分かりやすく面白い。読めば新しい生命感が感じられる。

あなたのなかのDNA

女の子
 娘1が産まれて一ヶ月経った。特に問題もなく育っている。
さて、息子は、いきなりの娘1の出現で少々やきもち男である。それはしょうがないが、親の隙を見ては娘1にちょっかいをだすのは少し危険である。

 結局息子に対しても、僕達夫婦は今まで以上に気が抜けないのだ。つまり息子もかまうことになるのだ。それが狙いで息子も行動していると思うので、まだ可愛いものである。

 2番目の子供が女の子で、最初僕は少しがっかり、本音では男の子が好きなのだ。しかし産まれた娘1を見ているとだんだん女の子で良かったと思うようになってきた。初めはオムツを替えるときに、多少見るのに抵抗のあったチョメチョメもだんだん可愛く見えてきたのだ。

 「この子を嫁には出さない」とこの時期から思う親父もいるそうだが、本気にそう思うなら、しっかりと自立出来る様に、簡単に言えば男の子みたいに育てれば良いと思う。

 嫁さんにしか成りようがない自立出来ない女を育てるくせに「嫁にはだせないだと!」
とんでもない親のエゴだ。この手の親のエゴは僕には分からない。だから娘1も安心だろう。

 さて、話しが横道に逸れたが、何故僕は女の子が嫌いなのかを説明しよう。理由は一つ、女の子は相当幼い頃から性的魅力で世渡りをしようとするからだ。幼稚園の年長組位になると、少し可愛い子はてきめんにこの手の行動をとる。

 最終的には会社等の八方美人でブリッコ女となり、皆に迷惑をかけるようになる。だから僕は女の子が嫌いな訳なのだ。(これは、あくまでも主観ですので)

 でも考えて見ると、これは子供の問題では無いのだ。きっと馬鹿な親父や母親が女の子のブリブリ的思想と行動を植え付けているが原因なのだ。

 たまに可愛くて素直で元気のいい女の子を見る時があると、こういう女の子の親は、きっと母親がしっかりしていて、旦那や自分の父に甘える事無く、しっかりした生活を送っていると想像する。

 以上改めて、女の子の嫌いな理由をここで書いてみると、結局女の子が嫌いなのではなく、そんな子に育てる親が嫌いなのではないか。

 考えて見れば、日本以外に目を向ければ、世の中、いかした女の子も沢山いるではないか、僕も娘1をそうした子に育てようと決意するのであった。

子供を持つ事
 2人も子供が出来ると本当にお金が必要となる。しかし、それよりも生活に追われだす方が僕には深刻な問題である。つまり一年が早く感じるのだ。ついでに親父の道楽も難しくなる。

 その点では子供のいない夫婦がうらやましい。欲しくても出来ない人は別として、あえて子供を作らない夫婦生活は何を基準に結婚生活を送るのだろうか?

 僕も独身生活が長く、結婚したのは33歳。子供が出来たのは36歳。だから子供のいない大人の生活はある程度は想像出来る。

 そこで、あえて暴論かもしれないけどサラリーマンである以上、結婚しない、子供をあえて作らないという生活は、もの凄く社会的に不利だと思う。

 何故なら何時までも、会社や地域社会から半人前とみなされるからだ。僕、個人としては、そうは思わないが事実だからしょうがない。

 だから子供が欲しくても出来ないような夫婦は、僕の知っている限り、社会活動や地域活動等のボランティア活動を通し社会とのつながり得る努力をしている。

 その様な夫婦は、理想的で、本当に素敵だと思う。それと世の大半の人がそうである様に(僕も含めて)、人生大した目標もなく生きている。そんな夫婦が共働きで子供のいない、すれ違い生活すると、どうなるか?

 会社の人間との接触が夫婦間の接触より多く、また地域には全然とけ込めない生活。これだと、なんの為に一緒に生活しているかわからないではないか。

 それが「何時までも恋人気分でいられる秘訣」と言うなら、世間体等気にせず結婚することなく恋人でいればいいのだ。

 何か目標があり、あえて子供を作らず頑張って生活しているのならいざ知らず。ただ雑誌やTVでつたえられるガキ見たいなトレンドの生活を固持したいだけで、子供のいない結婚生活を送るのは、本当に寂しいものがある。
 
 また子供が出来れば、おっぱいの形は悪くなるし、尻も垂れる。女には悪い事ばかりだとガキみたいない事を言う女もいる。

 いざ子供を産んで、その代償で得たものの価値が分かると、産んで良かったと感じる人がほとんどだ。そして、その価値を見いだした友としか話し合えなくなるのである。

 その気持ちは男にも少しある。子供ができるとむちゃな冒険は余りしなくなる。その代償が大きい、心の重荷が違うからだ。だから最近、僕のトライアスロンライフも転換期を迎えている。本当は生活に追われて転換しているのかもしれないけど?

 色々書いたけど、基本的な僕の信条は、「個人個人は自由にやってください」ですので、確固たる意志があれば、気にしないで、自由に自分の人生を生きて下さい。

赤ちゃん返り
 一時期息子にチック症が出てしまった。妻の妊娠が9ヶ月頃から出てきた。医者に相談したら、ともかく愛情を注ぎなさいと軽く言われた。なかなか直らなかったが、妻の実家から娘1と一緒に戻って来る頃には症状も軽くなり、今ではいつもの馬鹿息子に戻っている。

 初め、目をぱちくりぱちくりするのに気づいた時、僕達は何か目の病気かと思った。それで小児科を訪ねたのだが、先生に軽い神経症によるチックだと言われたのだ。

 妻は性格上、一つの事項に集中する性格だ。60%の注力で2も3も物事をこなすことは苦手であるのだ。

 僕は、逆に一つの事に集中しにくい性格であるのだが、僕の方が主婦むきだ。
だから息子に対して妻は少しおざなりな接触をしていたのであろう。

 子供はこの手の愛情には非常に敏感である。それがストレスとなっていたのかも知れない。それと僕も今はそれ程ではないが、一時期パソコンに熱中していた為、息子をあまりかまってやれなかった。これもお母さんがダメならお父さんへの逃げ道を塞いでしまった結果になったかもしれない。

 そんな状況で臨月間近に実家に妻と一緒に移った息子だった。実家では、息子は初孫である。だからジジババにとっては可愛くてしかたがないのだ。そんな訳で息子は実家に居る間中、甘やかされた。

 これはこれで少しは息子の気持ちを救くってくれたが、その代償として息子をもの凄い甘ったれの泣き虫男にした。

 その後長女の娘1を連れて妻が息子と一緒に狭い団地に帰ってきたのは、1995年の年末であった。そこで僕は何らかの手だてをうとうと、年末年始休み恒例のトライアスロンの練習を止めて、ある計画を実行した。

 それは「息子の根性入れ直し計画」である。
つまり転んだら泣いて起きない程の弱みそ性格になってしまった息子をバリバリの男の子らしい性格に直すための計画だ。

 簡単に言えば暇があれば屋外で、時間がなければ家の中で肉弾戦の遊びを息子とすることである。年末の休みの間、毎日僕は2時間以上息子と屋外で遊んだ。

 暇があれば殴る蹴るのスキンシップを加えた。そんな事を繰り返して行く内にチックはまったく無くなった。また体力も回復し、相当荒っぽい遊びにも耐えられる様になった。

 それと今までのひょうきんな性格も戻ってきた。つまりいつもの息子となったわけだ。
僕の努力もいい結果になり満足したが、基本的にチックが治ったのは、娘1と言う目に見える敵の出現が、今までの目に見えない(妻の腹の中の頃の娘1)時にお母さんを独占する状況よりましなったからであろう。

 これでいつもの息子に戻ったのはいいが、時折娘1を殴ったりするのは、やはり頂けない、しかし、ここで死ぬほど怒ると後が心配なので、その加減に苦労するこの頃である。

電車オタク
 男の子は2、3歳代では大体の場合、車か電車キチガイになる。昆虫キチガイもある。息子は、電車キチガイだ。特に電車のビデオとか本が好きである。実物はもっと好きである。

 いつも家の中でゴロゴロしている時、暇があれば電車の本を読んでいる。もとい、字は読めないので見ている事になる。

 ビデオとかで電車の名前を覚えると、しつこく僕達に聞く、「おとうさん何がシュキ」適当に「京浜東北線」等と答える。すると、まってましたと今覚えたての電車名を言うのだ。「僕、エーデル北近畿シュキ」

 これは最近お気に入りのローカル特急だが息子にとって、この言葉の響きがいいのか、よく口にする。少し前までは鶴見線が好きであった。見た感じスマートな新幹線より、ローカルな特急が好きな男のようである。

 燻し銀のローカル特急が好きか、お宅ぽいなぁ。 僕は子供の頃、昆虫と車のお宅であった。あまり電車は好きではなかった。いったい誰に似たのだろうか?

 それにしても、毎日、何度も何度もこの質問をされる妻は、エーデル鳥取が好だと言っている。

子育て通信
 パソコン通信やインターネットで子育て情報のフォーラムが盛んである。他の同様のフォーラムも結構多くの人が参加している。基本的に女の人がメインであるが、パソコンを使うと言う性格上父親の参加も多い。

 しかし、僕はあまり、この手のフォーラムは好きではない、なんと言うか俗に言う、公園社交場の延長としか思えないのだ。つまり、井戸端会議だ。だから、その根底には他の子供との比較と確認のための手段として皆参加していると思う。

 立て前では子育てで悩みや相談を皆で話し合うのが基本的思想のフォーラムである。それはそれで悪くは無いと思うが、パソコンに向かうより、まず子供に向かうべきだろう。

 僕の妻は「趣味のフォーラムならいいけど、子供が寝た静かな時間をパソコンで、また子育て情報なんて疲れるだけ」だそうだ。

 まあ、子育ては趣味ではない、子供は自分の作品でもない。しかし、同じ立場の人間が揃う場で比較対照の相手を探し、そこで話しあえば楽しいと思う。だけど、そこで自分の子育てに誤解と迷いが心に充満する。確固たる信念も方針もなく実体のない情報に溺れるのは危険である。

 だから、僕は、その手のフォーラムを利用する場合、はあくまでも情報交換と言う意味で参加する。そこで自分と同じ様に子育てに基本的な方針があり、お互い正しいつき合いを考える(これが難しいのだが)事の出来る人達と情報を交換出来ればベストだと思う。

魚眼でみた愛犬コロ

パート4・・・と続く


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