地獄のハイウェイ 元祖マッドマックス
私の年代だとSF小説と英国の冒険小説、ミステリーはちょっとした読書好きの男ならたいていのめり込んでいた。
私の生きた時代は1970年代、学生運動が吹き荒れていた時代。
1969年東大安田講堂事件から翌年、東京の都立高校でも学生運動があった。その後、私が高校へ入学した時代、1971年には学生服から開放された。校則もあってないようなものだった。
私達が何をしたでもなく、勝手に転がり込んできた自由な高校生活。
当時は戦前からいる大人、戦中の大人、戦後の大人がいた。だから生きる意味と信条が沢山あった。それでも目標は日本の繁栄と自分の繁栄だった。
がむしゃらに働く大人達。
子供になんかに構っていられない。
だから子供(学生)と社会人との世代間の断層はフォッサマグナ級だった。
飛び越えたら戻れない。
情報もSNSなどないから、子供の世界観は大人には理解できるはずがない。
手出しの出来ない子供達の世界。また子供達も大人の世界に口だしは出来ない。
現在、子供の世界から大人の世界がシームレスだ。何時までも子供みたいな思想で生きている大人。
一方まるで諦観したような子供もいる。それは市場経済における消費者として幼児から登録されているから仕方がない。
当時は、社会に出ることは、子供の世界(思想)からの完全なる逸脱だった。経済活動の一員となる。俗に言う社会の歯車になる。
「そうか、もう社会人かぁ・・」
高校出て働いている奴らには、大学生はその壁を感じていた。
そんな時代、私はバイク、CB750に乗り自由謳歌した。その反面、このまま馬鹿のままでいいのかとも思っていた。
一種の焦りもあった。今もその焦りがある。常に競争をしていた時代が産んだ私の業だろう。
大人の世界を見たい。
映画は金がない、ガソリン代で消えている。だから本、小説を読んでいた。映画は女の子とのデートで観るだけにしたが、デートはなかった。
さて、そんな私が17才で読んだ小説
このSF小説には痺れた。今も手元にある。
「地獄のハイウェイ」 ロジャー・ゼラズニイ
1969年発表 1972年 浅倉 久志 訳 1972年
後に映画「マッドマックス」の世界観の原型となった。
主人公は愛車のハレーを駈り、カリフォルニア一帯で強盗や恐喝など悪事のかぎりをつくしてきたヘル・タナーという男だ。
それでもバイク乗りとしての矜持も持つアウトローだ。
ペストが蔓延するボストン。街を救うために、その抜群の運転技術と度胸をみこまれて、カリフォルニア政府からペスト血清をボストンまで輸送する任務を託される。
そして仲間の男たちとともにアメリカ大陸横断の旅に出る。西部劇風設定のSF。
核戦争後、放射能に汚染された地獄のような世界をバイクで疾走する。危険に満ちた大陸横断の旅が始まる。砂嵐が舞う荒野。まるでマッドマックスの世界だが、こちらが元祖だろう。今読むとマッドマックスの映画が頭に浮かぶが、当時は想像するしかなかった。
言葉少なくハードボイルド系の文章で描く地獄の世界。そこでのアクション、高校生の私は相当に痺れた。
復刻版は今風の表紙になったが、もうこれも廃版。
文章が古くさいとかいうが、それも渋いと思う。
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