身も心も捧げた人たちの凄み、そして生まれる美しい世界
泉鏡花作「歌行灯」は、破門された能役者を主人公とするもので、芸道に身も心も捧げた人たちの凄み、だからこそ生まれる夢のような美しい世界を感じた作品です。そんな「歌行灯」を読む楽しさを、ご紹介させてください。
あらすじ
十一月のある夜、桑名にある二つの場所で、二つの身の上が語られます。
一つは、うどん屋に酒を呑みに来た若い門付け(旅する芸人)が、女将に語る、彼が起こした事件の懺悔話。彼は、能役者として期待されていたものの、三年前、芸の自負と浅慮から、同じ芸に生きる人を辱め、それにより破門されたのです。
もう一つは、ある宿屋での話。二人連れの老人が呼んだ芸者は、三味線も弾けず踊りも満足に出来ない。興味を持った老人が身の上を尋ねると、父の死後、芸者となったこと、芸ができず苦しむ日々を送っていたこと、ある日「父の敵」と名乗る人が、ある舞を授けてくれたこと、を語ります。
二つの物語が、徐々に縒り合されて一筋のものとなったとき、二つの場所の登場人物たちは、互いの存在を確信し、芸の華を咲かせます。
こう読みました
1 「知らない」を楽しむ
冒頭、色々な名前が出てくるのですが、どういう人で、話の筋とどう関係するのか、わかりません。しばらくの間、頁をめくる指が止まりました。もし「東海道中膝栗毛」の主人公の名前を知っていたら、二人の老人の登場をすぐ理解できたことでしょう。それは、泉鏡花が書いた時代(もしかしたら、今も)、読者が普通に知っていた知識なのでしょう。
しかし、知らないことは、読む上での障害にはならないと思いました。「栃面屋弥次郎兵衛(とちめんや やじろべえ)と、その居候の喜多八の名前にかけている」、それがわかったときの嬉しさときたら。謎を解く楽しさを満喫しました。
2 「芸の厳しさと喜び」を垣間見る
「歌行灯」を読みながら、踊りと謡いと鼓や笛といったシンプルな要素で美しい世界を生み出す能楽というものに心惹かれました。
これらの芸を修得し、向上させるプロセスには、「自分の体を自在に操る」「師とする人の体験を、自分が再現できるようになる」「新たな創意工夫をする」、という過程があるように思われます。そしてそれらには、未経験者の想像では及ばない、難しさや厳しさがあると思われます。
だからこそ、「理想に近づく喜び」「価値観を共有する同朋への敬愛」「才能ある者が芸を離れる悲しみ」は、より深いものと思われるのです。
一言感想
何か芸事を習っていたら、もっと、「歌行灯」がおもしろくなるのでしょうね、きっと。登場人物たちが舞い、謡い、小鼓を打つ、その世界に参加したい!よって妄想します。
そんな「歌行灯」、よろしかったら、お楽しみください。
ほんの感想です。 No.02 泉鏡花作「歌行灯」 明治43年(1910年)発表