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私はそれが知りたくて堪らない

「人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化できるものでしょうか。私はそれが知りたくって堪らないんです。だから其所を一つ貴方に判断して頂きたいと思うの」

これは、夏目漱石の『こころ』で、「先生」の奥さんが、「私」に言った言葉です。再読の折、奥さんのこの言葉を目にして、「そうそう、私も、それをお願いしたい」、と思ってしまいました。

『こころ』の「下 先生と遺書」は、先生の生い立ち、友人Kの死の経緯、そして、最後に描かれる「先生」の選択が描かれていて、頁をめくる指が止まりません。しかし、「先生」にとって、友人Kがどのように大切であったか、これまでの読書では読み取れず、「もどかしさ」を感じています。

この「もどかしさ」を小さくすることを目的に『こころ』「下 先生と遺書」でを読んでみました。今回は、その途中経過をお届けします。

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まず、後年「先生」と呼ばれる「彼」と、その妻となる「お嬢さん」、「彼」の友人Kについて整理しました。

二十歳前に両親を亡くした「彼」は、それから三年程の間に、財産管理を委ねた叔父から「善人が金によって悪人に変わること」を思い知らされます。

人間不信に陥った「彼」ですが、二人の人物に限り、心を許します。下宿先のお嬢さんと友人Kです。

下宿先のお嬢さんに対し、まず、その顔立ちに惹かれた「彼」ですが、やがて、「肉欲ではない純粋な愛を感じている」と考えます。そして、お嬢さんの下手な活花を眺めたり、上手でない琴の音に耳を傾けたりして、喜びを感じます。

一方、友人Kは、「彼」の同郷の人で、子どもの頃からの仲良しです。共に、東京の高等学校に通うようになり、その時も同じ下宿にいました。医者になることを条件に養家から学資を得ていましたが、Kにその気はなく、精神世界での高みを追求しようとします。

「彼」は、精進するKを畏敬し、何をしてもKには及ばない、という自覚がありました。しかし、神経衰弱気味のKを、お嬢さんのいる下宿先へを引っ張ってきたとき、「彼」は、自分の行動が理にかなっていると考えていました。それほどKの様子を気にかけ、心配していたと思われます。

しかし、Kから「お嬢さんを好きになった」と聞かされた「彼」は、そのことを下宿先の奥さんに隠したまま、彼女との間で、お嬢さんとの結婚を取り付けてしまいます。そして、その後のKの死により、人が変わってしまうのです。

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ここまで書いて、改めて、お嬢さん、「彼」、Kの関係は、三角関係というにはあまりにも淡白だと感じました。一方、心身をすり減らし自分の道を行こうとするKには、意外なほど共感がなく、「彼」があそこまで深くKに心を配るのか、不思議に感じられるのです。ここは、何としてもKの良さを明らかにしないとバランスが悪い気がします。

そう感じたとき、三角関係ではなく、お嬢さんとKは、「彼」の世界では両立し得ない二つの価値の象徴のように思われてきました。

「両立しない」という点が今一つ表現できていないのですが、今現在、こんな風に感じています。

・お嬢さんが象徴する、不満はあるが、それに優る喜びが期待される世界
・Kが象徴する、心惹かれるけれど、世の中に顧みられない精神活動の世界

例えば、高血圧で血糖値の高い人が、好物の銀シャリと焼いた塩鮭を眼の前に、どちらか一方を食すことは、許す、と言われているような、そんな感じなのですが・・・・・。

引き続き、考えてみたいと思います。

ここまで、お読みいただきありがとうございました。

*夏目漱石『こころ』の過去記事です。


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