悔しさが彼女に強さを与えた
ほんの感想です。 No.35 森鷗外作「雁」明治44年-大正2年(1911-1913年)発表
森鷗外の「雁」には、主人公の、娘から大人になる間の、内面の変化が描かれていました。それは、父からの愛情を素直に受けていた娘が、いくつもの「悔しさ」を味わいながら、
「わたくし嘘を衝いたり、人を騙したりなんかしない代わりには、人には騙されもしない積なの」
と言い切るまでの、プロセスでした。
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幼少時に母を失ったお玉は、貧しいけれど愛情深い父により、素直な美しい娘に育ちました。しかし、お玉の美しさは、男たちを引き寄せるものの、お玉を幸福にするものではなかった。
まず、お玉の結婚の失敗です。強引な求婚に抗えず、お玉は、ある巡査を婿として迎えましたが、後に、妻子持ちだったことが発覚したのです。この件で、お玉は、自殺未遂に追い込まれるほど動揺します。
次に、望まれて妾となった旦那に対する失望です。お玉が、妾奉公を承知したのは、妻を亡くした男への妻同様の勤めだと説明を受けたからでした。しかし、実は、妻に隠れた妾通いであることがわかります。加えて、旦那から、彼が高利貸しをしていることを聞かされ、二段階で、ショックを受けます(当時の、「高利貸しの妾」に対する視線の厳しさが窺えます)。
こうした失望やショックの都度、お玉は、「自分が何も悪い事をしていないのに、他人から迫害を受けたときに感じる苦痛」を受けます。そして、あるとき、その苦痛を、「悔しさ」と認識します。
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やがて、お玉は、自分に「悔しさ」をもたらすものに、相応の対処をして、自分の心の内でバランスを取るようになります。それは、旦那である高利貸し末造への対応に現れます。
当初は、人柄の良さを感じたこともあり、お玉は、末造には心を尽くして仕えていました。しかし、「高利貸しの妾」とされた「悔しさ」を認識してからは、仕え方がビジネスライクになります。妾として抜かりなく勤める代わりに、旦那からの世話に対し、感謝の気持ちも恩も感じない、という風に。そして、「末造の妾で終わる人生は、嫌!」、と思うようになります。
お玉は、往来を通る学生を見ながら、「あの中に、自分を救ってくれる人がいるのではないか」、と夢を見るようになります。そして、一人の学生を見つけてしまったのです。
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顔見知りに過ぎなかった岡田と、ある出来事から口をきくこととなったお玉は、岡田に思いを募らせていきます。そして、ある日、「旦那が来ない夜」が来ることを知り、ある企てをします。
果たして、お玉の企ては、成功するのか?
「雁」の結末は、哀愁というよりは、むしろ、ホッと安堵し、温かみを感じてしまいました。ごめんね、お玉さん。
ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。