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「価値創造」とは、「価値を『気づかせる』」ことである

ある「ハーブ」のお店にて

先日、友人とともにハーブのお店に行く機会があった。

そこには、様々なハーブがあり、いくつか、というか10種類近くのハーブティーを試飲させてもらった。
同じ「ハーブ」といっても、それぞれ違う効能があり、味も違う。身体の悩みや好みの味によってハーブを選べるということが、このお店の「売り」なのだと感じた。
また、接客してくれた店員は、自宅でもハーブティーを飲んでいて、その中で得た適切な飲み方や、ハーブの種類により違い等を教えてくれた。

友人はそのお店の「ファン」ということで、あらかじめ何かしらのハーブを買うことは決めていた。しかし、私はただ付いていった、という感じであったので、試飲したのみでその時は買わなかった。これだけ読めば、「ただの試飲した話」で終わるであろう。

しかし、この試飲を通じて、ハーブの良さや選べる楽しさを感じることができたのは事実である。今後、飲み物に関する悩みが出た際には、「ハーブ」も選択肢となるであろうという認識に至った。
それ以上に、ハーブを買うとなったときには、タイミングにもよるだろうが、「このお店で買いたい」という思いも抱いたことがポイントである。

「価値に『気づく』」ということ

このハーブのお店での経験は、商売の上で「価値に『気づかせる』こと」の大切さを、改めて認識させてくれた。

確かに、私はそのお店に直接貢献したわけでもないし、ハーブを買っていないのだから、そのハーブに関わる人たちに利益をもたらしたわけでもない。
ただ、それまで認識していなかった、ハーブの「価値」を認識することができたことは、将来的な購買意欲の発生につながるであろうことは想像できると思う。

そして、これも大切なポイントであるが、ハーブは決して安価なものではない。なぜ購買まで至らなかったかといえば、試飲した時点で欲していない、もしくはハーブティーを飲んで健康に関する悩みを解決したいという「問題」を認識していない中で、購入するまでには至らなかった、ということもある。むしろ、それがハーブを購入しなかった最大の理由である。

このように、その時には購買に至らなくても、何か問題が発生したときに「解決の選択肢」として認識することは、将来的な購買につながる。これが、長期的な視点における「需要の喚起」である。

「需要の喚起」とは、潜在的な欲求をその人自身の中で認識することである。それが「購買の選択肢」という形で認識されることにより、将来的に購買という行動につながる。この選択肢に入るためには、その商品を「価値のあるもの」として認識する必要がある。そもそも、価値がない、価値が見いだせないのでは、買う意欲は出てこない。

試飲や試食は、その場で購買につながれば、お店としては大変結構な話であろう。ただ、その店に立ち寄った人が価値に気づいたとしても、問題の解決や快楽を受けることと、対価を支払うことと比較し、その時点では購買に至らないことは多々あることである。

少なくとも、価値に「気づく」、その商品により何をもたらすのかを「認識する」ために、販売する側が価値を伝える努力をすることは、「商い」という性質上必要なことと考える。

「価値創造」は、決して「無から有」ではない

近年、「価値創造」を通じて、新たな分野を開拓したり、利益につながる事業を展開しようとする動きがある。いや、それまでにも「価値創造」自体存在したのであろうが、これまで以上に「価値創造」の重要性が増した、というのが実情と思われる。

「価値創造」というと、何か全く新しいものをつくり、需要を喚起する、というイメージが持たれている面があるように思う。

しかし、価値創造とは、まさに価値を「気づかせる」ということである。

先ほどのハーブのお店の試飲では、お店に来た人に、ハーブが持つ効用や多彩な種類を知ってもらい、良さに気づかせることにつなげている。すなわち、「価値に『気づかせる』」ために行動することにより、将来的な購買意欲の喚起につなげている。
そこでは、「対価を支払っても、それ以上の価値がある」という認識に至らせる過程があり、ただ試飲させるのみならず、適切な飲み方を伝えたり、ハーブの使い分け方や保存方法に至るまで、価値を認識させることにつながる接客をしていることがわかる。

これは、無から有を生み出すというよりも、潜在的な価値を顕在化させ、認識してもらうというのが正確ではなかろうか。

企業が利益を上げるためには、顧客に「利益をもたらすだけの価値」を見出してもらえるか、がカギとなる。

日本経済は、「失われた30年」と評されることがある。
その要因の一つは、デフレ状況から脱却できていない、ということもあろう。
デフレの背景には、「安ければよい」「安い方がいい」という認識が広く持たれていることにもあるのでは、とみている。
今後、「価格以上の『価値』を見出す」ということに照準を置けるか否かが、この先の日本経済の成り行きを左右するものと考える。




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