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⑧17歳が終わる

初めに

17歳を表すとなんだろう。
出会い?繋がり?新しい?夢?う~ん。
18歳をどんな年にしてこの先どうしたいかな。
私の夢は、良くも悪くも漠然としていて、できることは探した数だけある。

やりたいこと

10代後半から20代前半の若者支援、自立支援は確立させたいし、
自分の住んでいる地域だけではなくて、
全国でそういうネットワークを作りたい。
でもよく、若者支援って言葉を私は使うけど、
恐らく支援を直接的にするってやっていっても、結局ゴールがない。
もっと世の中の価値観、社会全体の見方が「グッ」と変わらないと
きっとキリがなくて。
じゃあ、どうしたら社会や世の中を変えれるかなっていつも自問自答するけど、結局は「無関心で回ってしまった社会」にすごく大きな罪があると思う。
何年か前はそれでよかったかもしれない。
戦後荒れてた頃から逃れるために制定された法律、そして世の中全体の価値観。それで、いったん落ち着いてしまったから。
でも、時代とともに、やっぱりいろんなことを変えていかなきゃいけない。
江戸のやり方が明治じゃ通用しないのと同じように、
平成のやり方、昭和のやり方のまま滞るのは、維持になるのか。
むしろ退化している。
ちょっと、脱線してしまったけど……

若い子たちと一緒に考えていける一大人としてはありたいけれど、。
これは絶対なりたい、たとえどんな職種だろうが、ね。

社会全体を動かすには、最終的には、
というよりどの段階でも政治家さんたちの協力が必要。
そのためにも、講演会を随時行いたいと思う。
(ぜひ呼んでください💦)
だけど、結局、政治に関心がない今の無関心社会だと、何も変わらない。
10代でも知るべき情報すらも、ネットで検索して初めて知る。
酷いときはネットで調べても
「これ10代の子が読んでもちんぷんかんぷんじゃねぇ?」
なんてことも割と少なくもない。
自立していない、できない、
年代の子たちは、家族のネットワークを失えば、
ほとんどの場合孤立してしまうし、孤立しやすい環境になる。
頼れる場所は、基本的には親、たまに先生。
だけど、必ずしも大きな悩みを抱えたときに親や先生に話せる子は少ない。学校に行ってない子たちの場合、
頼る場所を失い精神的にも物理的にも社会から分断され、
危険な状態にさらされる。
家が欲しいと思っても、身分を証明できるものがなければ、
契約もできない。
お金を稼ぐためにも、身分証は必須。
もちろん親権者の同意等、変えるべき法律もたくさんだけれど、。
例えば、
「マイナンバーカードは15歳以上の人は申請できる」
「15歳以上の人は親の同意無しで制限はあるが不自由なく口座開設ができる」などの情報を
知るべき人がみんな知っているんだろうか。
これらの情報も、スマホで見ても難しい御託並べで、分かりづらい。知ってる人がわかりやすく噛み砕いて教えてくれると瞬時に理解出来ることも、頼る宛がないひと、社会と分断された多数の若者は自分で解決しなければならない。
そういう情報すらも、自分で調べる癖をつけろ、というなら学校でそのような教育、もしくは世の中全体でそういう風潮にするべきだ。
ほかにも、社会とつながりが薄い重大だからこそ知るべき福祉情報・法律はたくさんある。
分断された社会と若者の溝を埋めるには、無関心社会に対して、罪の自覚をしてもらうことが再前提である。
そのために会うとリーチ活動には早い段階でかかわっていきたいし力を入れたい。
長々と全段階で書いてしまったが、まとめると、、笑

18は挑戦できる年にしたい。
自分の目指しているものに近づけれる挑戦をしたい。
そういう意味でも、17歳の年は、進むための前進するための、
準備期間だったなと思う。

前述したどの言葉よりも、納得がいく。

蕾だらけの17歳、9階くらい登れたんじゃない?

物事にはお金が必ずしも必要にはなってくるけれど、
お金よりも自分の軸だったり気持ちの面が一番重要。
講演会を開いて自分の意見がゆらゆらしていたら、
届くものも届かないし響く言葉も響かない。
そういう意味でも自分と向き合える年だったように思う。
出会った人、つながりたい意思でつながることができた団体
深い話をしたいと思える人との時間を大切にできたこと
自分の弱点を歳相応以上に熟知できたこと
弱点が分かったからゆえに得意なことも見えてきた。
やりたいこと、「絶対これだけは」という自分の声に耳を傾け
一緒にその声を聴いてくれる大人たちの存在が私を半年で3,600°も変えた。
人生はトルネード式らしい。
トルネードというか、私は螺旋階段によくたとえているけど、
なっがいなっがい、螺旋階段。
上っているときは、足元しか、前しか見えないから、よく現在地を見失っちゃうけど、一度立ち止まって自分のいる空間に目をやると、前いたところよりも景色が素晴らしい。もちろん進んだ先が明るいものとは限らないけど。
でも、何よりも、次見る景色は素晴らしいと期待して進んでいくことが大事で。
でも上っているのはロボットでもバーチャルでもない。
人間。自分。
ずっと階段を上ってると、足は疲れるし、その疲れを無視しちゃうと転んじゃう。
螺旋階段で転んだら、いったいどこまで戻らないといけないんだろう……。
だから、疲れている自分に、頑張りすぎている自分に、気づいた時だけでもブレーキをかけてあげよう。
できなかったことを後悔するよりも、できるようになったこと、できたことに目を向けてあげよう。

17歳のお土産


自分にやさしくしていいと思うんだ。
わたしね、自分にやさしくしている人と一緒にいると、自分も自分にやさしくできるんだ。
だから自分にやさしくしてたら、あなたの周りも自分にやさしくできると思う。みんなが自分にやさしくできたら、きっと周りにも優しくできる。
周りにマウントをとっちゃうのはさ、自分に余裕がないから。
もっともっと、やさしくしていいと思う。
「自分に厳しく人には優しく」っていう言葉があるけれど、
厳しさとやさしさって決して対義語じゃないと思う。
むしろ近い意味がそこには含まれていると思う。
話を戻すけど、本当に、


休む時は休む
動くときは動く
考えすぎているときは、猪突猛進してみる
失敗したって思うときでも何か絶対そこには成長できている自分がいる



そこに目を向けるためにも、

自分を理解してくれる人、
自分の頑張りを見守ってくれる存在、
考えを尊重し自分の軸を持って話をしてくれる人、
同じ目線で会話ができる存在、

がとっても大事だと思う。
その出会いがあったからこの半年で今までにない経験をたくさんできた。
夢もたくさんできてまとめることもできた。
いやな経験すら愛おしく見えてきた。
自分の課題や時間をかけて向き合うべきものを知ることができた。
なにより、
自分を信じてくれる人にたくさん出会えた。
それが一番大きい勲章。
人は信じてくれている人の存在に気づいたり巡り合うことができたとき、
自分の話を根ほり葉彫り語りたいだけ語らせてくれる人に出会えた時、
自ずと、自分がどうあるべきか、が見えてくる。
私はそうだった。

感謝

誕生日は自分を生んでくれた母親への感謝。自分を迷いながらも、きっと育てようとしてくれている、家族。学歴もそんなにないのに、今では誇れるくらい自慢できるくらい昇給しまくってる、生計を立ててくれている父親。部分部分ではあるけど、感謝を伝えなきゃな。そして何よりも、今もなおかかわってくれているすべての友達、先輩、相棒、支援者、ううん、名前なんてどうでもいいんだ、関わってくれた経緯もどうでもいい。今一緒に話をしたり、考えてくれたり,私を思ってくれているその事実にしか興味がなくて、カウンセラーとか、支援団体のスタッフとか、編集長とか、なんだったら、友達だって、要らない。あなたが好き。それ以上でもない。笑こんな極端+ややこしい性格の私だけど、たぶんおもろい思うけん、20なったら飲み行こうね!笑ぶつかったり、離れたり、依存してしまって疲れたり、そんなことを繰り返しても関係が壊れないこともあるんだな。ってことを知れた最近の自分は少し強くも弱くもなれた。18はちょっと怖がる自分に少し勝って、なんでも挑戦していける年にしていけますように。

そして、自分の中の目標、だれよりも濃い10代を送る!
あと10代も残すところ2年ちょっと。
何を一番大事にしていくか。
10代のうちに、自分の軸を確立させたい。
もちろん大人になったからと言って、いつも一環とした自分がいなくてもいいかもしれない。
自分を許し、自分の軸を大切にし、時には厳しく、
自分のために毎日過ごす。
そうしていく結果で、だれかを照らせる人間に、なれるといいな。
架け橋コーディネーターの第一後継者も兼任して。


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