チッソは私であった を読んで 角幡氏の体験との類似性について思索する
前回は角幡唯介氏の著作に対する書評の記事をアップしました。
今回も書評ですが、著作を読み進めるにつれて、角幡氏の思索の方向性との一致 を感じました。
そういう意味でぱっと見は関連のない著書ですが、紹介します。
今回も読書ノートからの書評ですので、小理屈野郎の読書ノート・ローカルルールの凡例を以下に示しておきます。
書名 チッソは私であった
読書開始日 2022/11/24 14:21
読了日 2022/12/10 16:45
読了後の考察
内容的にはかなり重たいものであり、読了まではしばらくのインターバルを置きながら読まざるを得なかった。
しかし、内容は非常に濃く、充実していた。
著者の一生を俯瞰することにより著者がどのようにして水俣病に関わり、その後の思索で最終的に水俣病の患者認定を取り下げ、自分なりの行動をしていくか について述べている。
ここでは非常につらい経験をして、自分でゆっくりと深く物事を考えることにより、結局現代社会では「システム」(これは角幡唯介氏もおなじ言葉を使っていることが印象的だった) の中に組み込まれた存在であり、自分が傷つけられた、と思っている存在も実は自分と同様にシステムに取り込まれているものであった 、ということを気づく自分探しのたびになっている。
題名だけ見ると何をいいたかったのか分からなかったのだが、もともと角幡唯介氏の著書を読んでいたこともあって、深く納得がいった。
また、究極的な経験をすると見える世界は一致するのだろうか と考えた。また一神教の発生形式も角幡氏と緒方氏(この著書)を読むことでなんとなく理解できた 。
一神教(特にキリスト教)についての考え方は日本人にとってはともすれば難解ではあるが、角幡氏の著作群とこの著書を読むことによっておぼろげながら見えてきた。
今年一番の収穫かもしれない。
キーワードは?(Permanent notes用)
(なるべく少なく、一般の検索で引っかかりにくい言葉、将来もう一度見つけてみたいと考えられる言葉)
#システム
#自分探し
概略・購入の経緯は?
日経ビジネスの書評での推薦、そして「人新世の資本論」の斉藤幸平氏の中での言及があったため読書開始とする。
日経ビジネスの書評を見た段階で購入(今年3月)していたが積ん読状態だった。
斉藤氏の新刊を読んで、出てきたので思い出し積ん読から引き出すこととした。
本の対象読者は?
水俣病について知りたい人
深く思索したい人
著者の考えはどのようなものか?
→社会に仕組みや人々の振る舞いに幼少期から違和感を抱いていた。
→著者本人が「狂い」と呼ぶ三ヶ月間の錯乱状態を経験 している。
☆おそらく角幡氏の経験した極地の経験も同様のものだろう。どちらも期間が2~3ヶ月程度というところも似通っている 。
システム社会
この著者も社会のことを「システム」と表現していることに気づいた。
角幡氏にしろこの本の著者にしろ自分で思索してきた果てに出てきた言葉が「システム」、という言葉だったということが非常に印象的だった。
著者の「脱システム」
自然に返る 、ということだろう。
水俣病で汚れた地はそのままとして、記憶を封じない。そしてできる限り魂の会話をするようにする。これによって肩書きのないフラットな関係がお互いに芽生える。それによって本音の対話ができるようになり、魂が救済されると考える。
水俣病について
水俣病はチッソという会社が有害物質を垂れ流したことというのは客観的な事実ではある。しかしその様にしなければならなかった社会の構造が実は問題 である。それは現代社会の一番の矛盾点 である。結局、チッソは会社ということでシステム社会の中心を担い、システムでこの問題に対応しようとした 。それが医療的な保証であったり賠償金 であったりした。しかしそれでは加害者は自分の記憶に蓋をするだけ、そして被害者はいつまで経っても救われない 。それに気づいた著者はこの事件を中心として記憶を絶やさずなぜこのようになったのかを被害者・加害者のカベを越えて一般の人や当事者たちと話したかった 。そのため、患者認定申請を取り下げ対話をして記憶としてこの事件を残していこうとしている 。
その考えにどのような印象を持ったか?
最初はなぜ患者認定申請を取り消したのか?と考えていたのだが、大きな視点で、そして起こった出来事は自然に対する脅威を人間が起こしたということから、風化することを恐れたからだ、ということに感銘を受けた。
つらい思いをしながら一番真剣に水俣病について考えていたのが著者ではないかと感じた。
印象に残ったフレーズやセンテンスは何か?
→☆著書が出てからだいぶと時間が経っているが非常に普遍的なことを述べていた のだなあと感心。
→☆現在進行形で起こっている、旧統一教会を含む新興宗教の問題についてもよく掘り下げて考えてみるとそれ以外の新興宗教やいわゆる伝統宗教でも教義と社会が合わなくなっているところが増えているようだ。
その様な問題も大局的に考えることによってある意味「予言」できている著者の思索の深さに感服した。
→☆日頃の生活を俯瞰してみるとなんだか大きな波というかうねりに乗っている、という感じをすごく受けることがある。その様なことについて著者はこのように表現しているのではないかと考えた。
→☆小理屈野郎的には、常にここら辺で思考が途絶してしまうのだが、このあとの著述で更に深く著者は考えて、行動しているところに注目。おそらくこの考えたあとの結論は個人個人で全く違うのではないかと思われる。その中で結論に従って真摯にそれを実行している著者はすごいなと感じた。
類書との違いはどこか
水俣病の被害者側の非常につらい経験について深く言及しているところ
関連する情報は何かあるか
水俣病に関する訴訟やそのあとの認定に関すること
キーワードは?(読書ノート用)
(1~2個と少なめで。もう一度見つけたい、検索して引っかかりにくい言葉を考える)
#一神教の発生過程
#原罪
まとめ
角幡氏の著書を読む前後にこの著書も重ねて読んだことによって非常に深く理解できたのではないかと考えた。
思索の末にたどり着いたところは奇妙なほど一致しているところが興味深かった。
角幡氏の著作に関する書評は上手く自分のいいたいことを表現できた、と感じているのですがこちらの方はもともと著作が対談集だったこともあり上手く結論を吸い上げた上で表現できていないのではないかと危惧しています。
もし、気になった方は一度著書を手に取って読んでみて下さい。
内容としては形而上学的な思考を含んでいる作品ですので少し読みにくい、理解に時間がかかるかもしれませんが、著者の考え方が理解できればスムーズにトレースできると思います。
対談はいくつか載っているわけですが根本となるところはおなじ発想で何度も言及しているので読み進めていくうちに著者の考え方霧が徐々に晴れていくように見えていくのではないかなと思います。
(デジタル)読書をしていると、時折前掲の角幡氏の著作や今回の著作のような珠玉の作品にであうことができ、内面的な幸福感を感じます。
これがまた次の本への読書に対する活力になるのではないかと考えています。
今後も本の海の中でいろいろな本にであっていきたいと思っています。