
祖母との別れ 久々の再会
年末に祖母が亡くなりました…。
久しぶりに宮島⛩️を訪問し、実家に寄って夕飯を済ませた頃、両親から祖母の調子が悪いと聞かされました。そして、両親が自室に戻り、私達がリビングで過ごしていると電話📞が鳴ったので出ました…。
既に5年くらい入院しており、年齢も100歳近いです。例の流行病以降、病院に高齢者のお見舞いにいくというのは、ハードルが高くなった気がします。翌日には両親は久しぶりにお見舞い💐に行く予定でした。

私にとって祖母は思い出深い存在です。私には弟が3人いることから、弟がまだ乳児の頃、祖母の家に1人だけ預けられたりしました。祖母の家は当時の自宅からは100km近く離れています。
その時の一場面を今でも鮮明に覚えています。4歳の頃、祖母に抱かれている私。両親が車で去って行きます…🚙…
👩「大丈夫。寂しく無いからね!またすぐ会えるからね!」と、祖母が必死で私をあやしています。
しかし、実のところ私は、祖母の家に預けられるのが嬉しくて仕方なかったのです。祖母は優しいですし、美味しい食べ物、お菓子、ジュースなどたくさんくれますし、俗に言う田舎でしたので、外に出ると自然な遊び場もたくさんあり…。うちはそこまで厳しい家庭というわけでもありませんでしたが、小さな弟が3人いることで我慢を強いられることも多く、祖母の家では完全な「自由」を手に入れた感じでした。
ところが、必死であやしている祖母を見て、「ここは悲しんで泣くべきところではないのか?」と、子供ながらに空気を読んでいた…そして泣き出した👶のを覚えています。(空気が読めたのが良いことなのか…?両親と離されて悲しくならないことは問題ではないのか…?)
祖母が私を抱っこして、草花を見せながら懸命にあやしています…。そろそろ良いかな?と感じ、泣き止んだのも覚えています。ですので日頃、周囲で泣いている幼児を見ると私と同様に周囲に促されて泣いているのでは?と疑ってしまうことがあります。

小学生になると、夏休みには1週間くらい1人で泊まっていました。そこには、叔父と叔母も同居していました。その夫婦には子供がおらず、ある日、どドライブ🚙に連れて行ってあげようと言われ、瀬戸内の海沿いの喫茶店に行き、パフェ🍨をご馳走になりました。その時…
👩「こんなにたくさん食べて大丈夫?無理したらダメよ?お腹壊すよ?」
…とひどく心配され、全然大丈夫であるにも関わらず「もう無理」と言うべきなのか?とまたしても無駄に空気を読み、食べ残した覚えがあります…。全部食べたかったけど残しました。心配による問い掛けをゆるい命令、期待のように捉えてしまう。そんな子供でした。もしかしたら多少は今でもそうなのかも知れません。
弟が多いことで兄の私は、大人しくしていると周囲から褒められる…。いつしか「大人しい」が褒め言葉だと思うようになりました…。多少のことは我慢して自分を犠牲にして、ワガママを言わない…。大人からしたら確かに楽な子供かも知れませんが、今思えばとても立派とは言えないだろう人格が形成されていきました。
幸いなことに、成人してからは、仕事などの影響もあってか、決して大人しくはない感じの人格に変わることができました(本来の自分に近付けました)が、未だに、自分さえ我慢すれば全てが上手く収まる…「自己犠牲の美学」のようなものは持っています。自分にとっては当たり前の価値観、大人になってから周囲からの反応で、少し違っているのでは?と気付かされたり、この性格のために周囲を苛つかせたり…。そんなこともありました。

祖母が亡くなったのは年末です。さすがに正月は火葬場もお休みのようで、葬儀🌼が行われたのは亡くなってから4日後でした。
昨年も親戚の葬儀には出席していますが、近頃の葬儀は例の流行病や時代の変化から「家族葬」なるものが多く、出席者は10人ちょっとの場合が多いと思います。しかし今回は100歳にも近い年齢の祖母です。いわゆる田舎であることも手伝ってか、40名くらいの出席者がいました。久しぶりの規模での葬儀でした。
伯父、伯母、従兄弟など近い親戚すら会うのは10年以上ぶり…それこそ他の親族の葬儀以来の再会になります。不思議と会えば話は弾みます。しかし、会う口実が無い(祖母は入院していたため、集合場所も無い)ため、普段は会えないのです。
皆、歳は取っているものの、声や喋り方は変わらず、すぐに懐かしい気持ちになります。
しかしながら、その他の人達…どちら様でしょう…?
👩「◯◯ちゃんと呼ばれていた人の娘です…」
あぁ…◯◯ちゃんって呼ばれていた人の名前はよく覚えています。しかし、顔は全く覚えていない…更にその娘と言われるともう全くわからない…。私が赤ちゃんの頃はよく抱っこしてくれていたらしい…。
あちらからすると、大変に愛着があるようですが、こちらからすると、全く記憶に残っていない人です…。一方的に懐かしがられる…本当に申し訳なくなります…。それでも話は弾みます。
葬儀は厳かに執り行われましたが、その後焼き場に移動し1時間以上の火葬の待機時間になると、多くの人達は緊張が解れたのか、ただの喋り場のようになっていきました。この状況…久しぶりの懐かしい感覚が溢れます。
全ての人が誰だったのかまではわかりませんでしたが、全員どこかで血の繋がった親戚だったことは間違い無いようです。
人との別れにより、たくさんの人との再会を果たす。このような葬儀も今後は規模縮小で無くなっていくのかも知れません。
今年は新年の挨拶は控え、初詣も見送りました…。年末に厳島神社を御参りしてますし…。浄土真宗は初詣に行くことは構わないようですが、今年は良い年になるよう最善を尽くしたいのです…ここは少し慎重にいきましょう…🍀
