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檻の外へ?

えんじろうの友達に「面白い人を見るのが好き」という人がいます。その人はこうも言っています。面白い人を遠くから見るのが好きであるだけで、別に「関わりたいわけではない」と。
今回は時々耳にする「次元上昇」という話について書いてみようと思います。


スピリチュアル用語

まもなく人類全体に「次元上昇」の時期が迫ってきている、なんて言い方を耳にされた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
一見意味のわからない言葉には注目してしまうのが人間。次元上昇って何なんだろう?

図形の世界で用いられるのは2次元とか3次元とか、物を並べてゆく時の方向を示すものだと思います。自分たちが理解できるものは盾と横と高さであり、それらが組み合わさることでどんな形のものがどこにあるということを理解しているってことだと思います。

3次元というのが今自分たちがいる世界だと言われますが、3次元が3つの軸の組み合わせでできている以上それは2次元でもあり1次元でもあると言うことになりますよね。それならば、例え4次元空間に入り込んでしまったとしてもそこには元いた3次元も含まれていることになりませんか?

いつも主人公は自分

画像 立体グラフ

そもそも次元が上昇したとか4次元空間に入り込んだとか、全部自分というものを中心にして考えていますよね。次元の話って世界を基準に考えるべき話だと思いますから、考えるべき対象である4次元に入り込むという感覚は何かおかしい気がするんですよね。人は自分が今いる世界の外側に回らない限り、今いる世界を認識することはできないのではないか?そんなふうに思うのです。

自分自身が3次元の存在だというのなら、そしてそこから上昇するというのなら、自分から離れるということだと思うんです。ある意味死んじゃうということなのではないでしょうか?生きているうちに目線より広い世界を見るということは不可能だと思います。

心の話?

画像 箱に入ったハート

いやいやそうじゃないよ。これは心の感じ方の話をしているんだよと言われる方もいるのかな?
今あるこの世界を1つのブロックのように考え、その外に視点を置いてものを考える。それができたのならば、その時こそ次元上昇と言えるのでしょうか?

友達の話

そして最初の話に戻るのですが、僕の友達は面白い人を関わりは持たずに遠くから眺めることが好きと言います。それって動物園で檻の外から動物を見るような感覚だよねと言って笑いあうのです。
これもある意味、とっても小さな次元上昇であると考えられるのかもしれないなどと思いました。

時間の流れ

画像 空に浮かぶ時計

過去があって現在がある。そこから予想する未来もある程度は想像ができるとする。それらがあらかじめ並んでいるものだと考えるのなら、世界が時間ごとに列をなしていると見ることができるので、3次元に時を加えて4次元になるという考え方は割としっくりくるのです。
でもよく言われる時間と空間を加えて4次元とするの空間って何かがよくわかりません。両方加えたら5次元になっちゃわないかって思ったり。

並行世界

画像 光の分岐

もしもこうだったらと考えた時、世界は分岐するなんて言い方もあります。分岐した両方の世界が存在し続けているという考え方が並行世界パラレルワールドです。
でもこれは、分岐したそれぞれの世界にも時間の流れがあるわけだから、時間という軸も既に含んだ世界が多数あるということになりますよね。時間を含んだ時点で4次元と考えるのなら、そういったものがさらに連なる並行世界は5次元となるのではないでしょうか?

わけワカメ

画像 ?だらけ

初めてこの言い回しを聞いた時には、思わずプッと吹き出してしまいましたが、そう言いたくなるのが納得できるほどよくわからん話ですよね?
次元上昇という言葉を口にする人たちは、この意味がわかって言っているのでしょうか?深く話をして聞いてみたいという気持ちもあることはあるのですが、それ以上に話がめんどくさいことになりそうな予感の方が強くて、あまりやろうとは思いません(笑)

まとめ

この話をどうまとめればいいのかと思いますが、ひとつ言えることは、例の友達のように物事を枠の外から見ることができた時、ちょっと楽しい気分になるかもしれないなと言うのが結論です。

思えば最近はまっているプログラムAIを利用してアプリを作るという発想も、あらかじめ作られたものを使うだけだった世界から、使いたいものを作り出すという外側の世界に一歩踏み出している状態だと言えるのですよね。
まあ自分の足でとは言い切れないところがあるのですが、そもそも書くのが難しいプログラムの決まり事ですら、それを考え出した人の足を借りて先に進んでいると考えれば、同じことなのかなと思います。

次元がどうのこうのと分類を考えるより、どこまでも構造の外へ外へと視点を遠ざけて行けたとしても、永久に外側はあり続けるのだろうと思うわけですよ。
じゃあ外を目指すことなんて意味はないと言えるかもしれないけど、ちょっと外から物事を見れた時には、なんか少し嬉しい気持ちになりませんか?それだけのことなのかもしれないねと、思った話でした。お疲れ様でした。

それでは、3次元の元の檻の中に戻るとしましょうか(笑)外から見たやつが檻に見えようとも、その中が平和で幸せであるならばそのことの方が大切だとも思いますよ。
だってパーツがすべて幸せならば、外から見える全体も幸せに見えるものだから。健康な人の体がまさにそうじゃないですか?

画像 立方体の檻



#enjiro #えんじろう
#次元 #世界 #幸せ #視点 #檻

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