食道楽の路線図
自分が何気なく通り過ぎているひとつひとつの駅には、どんな食文化があるんだろう。
スマホの電池が切れてしまい、仕方なく窓の外を眺めたときに、ふとそんな考えがよぎった。停車する駅の一つ一つに血が通えば、電車に乗るという体験は「ただの移動時間」から「思い出の走馬灯」に変わる。
こうして私の食道楽の旅が始まった。
秋葉原
「嘘だろ・・・」
看板を見ながら私は立ち尽くしていた。秋葉原から徒歩10分ほどのところにある万世橋。橋の中にたくさんのオシャレなお店が展開しており、コーヒー片手にテラスから川を眺めるのも一興だろうと思って立ち寄った日だ。
看板にはお店を展開していたブルーボトルコーヒーが撤退したというお知らせが掲載されていた。ブルーボトルコーヒーといえば清澄白河に一号店をオープンして、町の価値を大きく引き上げてしまったほどの有名カフェチェーンである。オシャレなテイストは橋のコンセプトにもピッタリだと思ったのだが、なぜ撤退という結果になってしまったのか。
代わりに、私の目には異彩を放つコーヒー店の名前が飛び込んできた。
rootC
注文が全てアプリで完結する、完全自動の無人コーヒーショップだ。受け取り時間とコーヒー豆を選択すると、自動販売機の中でコーヒーが淹れられ、発行されるパスワードをアプリで入力するとロッカーが開いて受け取れる。あとは備え付けのミルクや砂糖を入れれば、傍にある椅子でくつろぎながらコーヒーを楽しむことができる。
マニュアルなしでもサクサク操作できるインターフェース、友人店舗では絶対できない豊富な種類のメニュー。クーポンを活用すれば友人店舗の半額でこのようなユーザー体験が得られる。
そもそも秋葉原はオタクの聖地であり、人とのコミュニケーションを毛嫌いする人間が多い。実は求められていたのは人によるホスピタリティではなく、人を介さずにスムーズに「コーヒーを味わう」機能だったのではないか。ニーズにマッチした顧客体験を創出できない店は、機械からの容赦ない襲撃を受けるのである。
飲食は不動産ビジネスだ。立地と店のコンセプトがあっていないと、有名チェーンですらあっさりと淘汰されてしまう。
無人店舗の極地に腰掛けながら味わうコーヒーは、迫り来る人手不足時代の苦い未来を想起させた。
千駄ヶ谷→高田馬場
見知らぬ土地でうまい店を探すのはコツがある。夕方4時ごろのピークを外れた時間帯に行列ができているのは紛れもない名店だ。そしてもう一つ、平日しかやっていないのに評価が高い店は本物である。
有給をとり、訪れたのは千駄ヶ谷にある「ほそ島や」。将棋ファンの聖地であり、多くのプロ棋士が社員食堂のように使う有名店。案の定行列ができているが、「もしかしたらプロ棋士に会えるかも」という期待感とともにいただくそばの味は格別だ。
飽食の時代となり飢餓の心配がなくなった国の人々は、料理とあわせて「情報」を食べるようになった。薄汚れた昔ながらの中華店も、「三代目J-Soul Brothersが出入りしている」と広まった瞬間に女性客が殺到する。実際には会えなくても問題はない。「会えるかも」の期待値がふりかけられるだけで、人の味覚は何倍にも拡張されるのだ。
興が乗ったので、高田馬場にある将棋カフェCobinを久々に訪れる。スクリーンには藤井聡太のタイトル戦が映し出され、Abema TVの社員がカメラを持って店内の様子を撮影しに来ていた。開店直後に何度か通ったおかげで店長に顔を覚えてもらっていたので、少し雑談をした。
「スタッフさんはどうやって採用してるんですか?」
「お店に来てくれている人で"この人いいな"と思ったら声をかけてます。面接で採用したこともありましたけど、やっぱり飾らないときの様子で判断したほうがトータルではよいな、と思ったので」
たしかに、通っている時点でその空間に愛着を持っている人なわけだから、採用としては効率が良い。この店長にしてこの店ありと思わされる話だ。
決着がつき、藤井聡太 最年少六冠誕生。歴史的瞬間に立ち会い、店内を万雷の拍手が包んだ。その後 Abema TVの人間がカメラで興奮冷めやらぬお客さんにインタビューをしてゆく。
この場には将棋を好きな人間しかいないという当たり前の事実が思い出された。好きだけに囲まれた空間に身を浸しながら日が暮れてゆく。
これだから将棋はやめられない。
日本橋
「推しは推せる時に推しておけ」とは、特定の何かを応援するファンたちの間で代々受け継がれる至言である。
我を忘れるほど熱中したアイドルやアーティストが、ある日突然バッシングの対象となり、夢半ばで表舞台を去ることは日常茶飯事だ。そして、移り変わりの激しさでは飲食業界も同様である。
東日本橋のはずれに、A.I.R Building Cafe という喫茶店がある。「アーティストが住む」というコンセプトビルに併設されたカフェで、フカフカのソファに豪華絢爛な内装。圧倒的な空間の質がそこにはあった。ビルの住人は自分の部屋に上がる際に必ずカフェの中を通る動線となっており、店員とのちょっとしたコミュニケーションが毎日発生するようになっている。'"食住近接"の思想を建築設計を通じて体現しているのである。
競争の激しい飲食業界では、コーヒーだけで家賃を払えるだけの利益を上げるのがどんどん難しくなっている。
そこで考えられるのが、フロントエンド商品とバックエンド商品を繋ぐ動線設計である。この場合、コーヒーはあくまで呼び水で、本丸は住居(家賃収入)だ。ホテル併設の喫茶店もそうだが、別で稼ぎの柱があるお店は飲み物や料理の値段が総じて安い。マニアックな場所にあるため混雑とも無縁で、大きく開かれた窓から雨に霞む東京の昼下がりを堪能することができた。
このお店も、不動産のオーナーが変わってコンセプトが維持できなくなったらなくなるかもしれないな、という考えがよぎった。この世にある多くの文化は、資産家の理解があってかろうじて成り立っているものが多い。
「推しの店は推せるときに推しておけ」
通いたくなるお店が、また一つ増えた。
森下
町のステーキ屋さん かまろ
我が家の第二の食卓、といってもいいぐらい通い詰めたお店がこちらだ。夫婦で切り盛りしているお店で、注文の際に「いつもので」が通じるようになった生まれて初めてのお店である。ファンが何人もついているお店で、「近所を通りがかったから来ました」という人がちょくちょくいる。
新型コロナの流行は多くの飲食店を廃業に追いやったが、しぶとく生き残っているのはこういった根強いファンのいる店なのである。
ある日、私が晩御飯を食べていると、店内にいた親子が食べ終わって立ち上がった。
母親「今日はね、うちの息子が生まれてはじめてもらったバイト代で奢るっているのよ」
おらまあ、とおかみさんが感嘆の声をあげる。高校生ぐらいのお子さんが照れくさそうに財布を出した。
その様子を見て、私は自分の中で一つの謎が解けた思いがした。
訪れた飲食店・喫茶店の数は、気がつくと優に50店を超えていた。何が私をそこまで突き動かすのか。それは飲食を通じて見えてくる"人間"の存在があったからだ。
お店側が心血を注いだ一品に料理人の矜持を感じ取り、顧客が作り上げる空気に勇気を与えられる。この一皿は、関わる人全てが命を奏でるための五線譜なのだ。
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