ふいに手渡された【千円札】≪重度障害児子育て≫
息子が小さいころ、病院の帰りでの出来事だ。
息子と一緒に病院を出て駐車場に置いてある車まで向かおうとしているとき、ふいに声をかけられた、「あの、これどうぞ。」
手を伸ばして何かを渡そうとしていた。
後ろから声をかけられたので落とし物でもしたのかと思い、「すみません。」とこちらも手を出した。
すると、私の手には【千円札】が。
え?
お金は財布にきちんと入れているから、私が落としたものではない。
「これ、私のものではないです。」と伝えた。
すると、「えぇ、これで何かちょっとしたものでも買って。」
えぇ?
どうやら落とし物ではなく、この年配の女性が私に【千円札】を渡そうとしているのだった。
え、なんで?
親戚の人でもなければ、友人でもない。
全然知らない初対面の人である。
ただたまたまそこですれ違っただけの相手。
そんな人からお金を受け取るわけにはいかない。
「受け取れません!」
「気にしなくて良いのよ。これでなんでも好きなもの買って。」
え、だからなんで?
どういうこと??
「いえ、本当に結構です。」
「いいのよ。もらって。
・・・だって、大変でしょう。」
そう言って、その人は息子を憐れむように見たのだ。
この時にやっと私の理解が追いついた。
そうか、憐れんで。同情して。不憫に見えて。
恵んでくれようとしているんだ、この【千円札】を!!
寄付というか、支援というか、募金というか、そういう気持ちなのだろう。
ありがたいと思わなければいけないのか?
全然ありがたくない。
ものすごく腹立たしい。
「大丈夫です。お返しします。」
と、半ば強引に突き返した。
もう失礼と思われても構わなかった。
【千円札】を受け取りながら、その年配の女性は残念そうに、
「あら・・・。そう?」と言った。
「失礼します。」
そう言って車椅子(バギー)に乗った息子とその場所から離れた。
車に乗ってから、手の震えが落ち着くまで少し時間がかかった。
辛いというよりもただただ腹が立った。
障害を持っている息子も育てている私も堂々と生きている。
そんな憐れみを受けないといけないような人間だろうか。
人からはそう見えるのだろうか。
どうしてこんな惨めな気持ちにさせられないといけないのか。
この怒りをどこにぶつければいいのか。
障害児を育てていると色々なことがあるけれど、この時のような全然知らない人からの行動や言葉に今までどれほど傷つけられてきただろうか。
こんなことにまで強くならないといけないのか。
打たれ強くならないといけないのか。
心穏やかに過ごすのって、とても難しい。