ゆるく哲学綴り withお絵かき

 結構日付空いてしまいましたね、、、危うく三日坊主になるところでした、、、
今回は初めての試みなのですが、絵を交えながら色々綴れればなと思います!
実は小さい頃から絵を描くことが好きで、たまに趣味で描いていたりします。そこで最近落書きをしていたら、絵でもなんか表現できそう!って思ったので今回の試みに至りました笑
 趣味程度の絵になりますので、クオリティはご了承ください!
(今回も何日かに分けて綴っています)


                   ⇩早速⇩

題名:幼き日の僕

 落書きを元に書いてみたのですが、我ながらなかなか可愛く描けたんじゃないかな、、笑。この絵のモデルになったのは題名にもあるとおり『私』なんですよ。画像の通り望遠鏡をのぞいている自分を当時の記憶を頼りに描いたのですが、この時期の自分が、今の自分の好奇心を作り上げたと言っても過言ではないと思っています。

 実は昔(小学生高学年〜中学生かな)今とは全然違う宇宙・空に関係する「天文学者」のような仕事を夢見ていた時期がありました。理由としては、未知を彷彿させるような分野だからですかね、?なので、同じ特徴のある海とかも昔から好きでしたね。ただ、とりわけ宇宙に対する好奇心は強かった覚えがあります。そんな風に宇宙に対する好奇心も持っていると偶然、旅先で望遠鏡をのぞける機会があって、すごくはしゃいでいた記憶があります。↑これがその時を頑張って思い出して描いた絵です。笑

 今思えば、幼いと言うのもあったと思いますが、「夢」とか「憧れ」は思うだけで日常が彩るというか、楽しいなと思える気がしますね。今の自分が嫉妬してしまうほど鮮やかだったなあと思ってます。ある意味僕が成長したとも捉えられると思いますが。

 そこで、
転機が中学3年生〜高校1年生の進学の際にありました。当時の僕にとって、中学と高校の間には同じ学生という身分といえど、大きな溝があるイメージがありました。何というか、本格的に「大人」になるための階段という感じです。それ故、不安感や緊張感が大きくなって、自分が日頃追いかけていた「好き」よりも、将来に対する不安が勝ってしまって、自分がかつて大好きだった「宇宙」とか「星」について考える余裕はしばらくなく、気づいたら高校3年へと時は流れていました、、、。

 夢を見れば見るほど現実との乖離を感じやすいと過去のnoteでも綴ったわけですが、当時の僕にとって「好きなことを追いかけること」は自分にとっての単なる理想的な夢であって、成長するにつれて現実を知り、無意識のうちに諦めてしまっていたのだと今では思っています。

 そのため高校に上がってからは不安や緊張の割合が自分の中で大部分を占めていて、ある意味それを原動力にとも言えるかもしれませんが、いろんな活動や生徒会等で頻繁に活動をおこなっていました。  一方で、以前とは違い自分のやりたいことよりも、周りの目を気にするようになり、他者の評価で自分を繕っていた感じがしています。
 幸いなことに、活動により校内等で名が知られていくと「〇〇すごいね」とか「さすが〇〇」、「〇〇なら大丈夫でしょ」と声をかけてくれる人が周りにはいてすごく幸せでした。しかし、今考えれば「その言葉に応えなきゃ」とか、「自分のイメージを壊したくない」という考えが先走ってしまい、他者の意見を自分の大きなアイデンティティとして、自分を「良く」見せようと一日一日を頑張って過ごしてた気がしています。
 何というか、他人は自分のことを活動をみて他人なりに消化してくれてたけど、自分は、ダメだとわかっているのに他人の評価をあたかも自分であるかのように信じ込んで、消化し切れないのに無理やり消化しようとしている感じですかね。なので、日々日々自分自身が成長しているというよりは、すり減っている感覚がありました。そんな恐怖もどこかで感じていた気がします。

 でも、ここで誤解してほしくないのは、「他人の評価」=「悪だった」ということではないです。他者の言葉は自分では得られない価値を含んでいて、本当にありがたかったです。一方で当時の僕は、「他人がこう言っているなら」と自分の身の丈に合わない評価を鵜呑みにして、現実の自分と他者の評価における自分にギャップがあると知りながら、自分を拡大解釈していた気がします。何となく周りに流されすぎてしまっていたように感じています。意外と正常な考え方なのかもしれないですけどね笑

 こんなことを思っていると子供の頃の栄光を棚に上げて、「大人になるもんじゃないな」と言いたくなってしまうのですが、残念なことに誰もがその時代の流れには逆らうことができないようです。「嫌だ!」と一回思ってしまったら、なかなか好きになれない。次第に些細な悪いことが起こるだけで、「もう最悪」「早く抜け出したい」と、自然とネガティブに考えてしまう。そして、気づいたら嫌な場所ばかりが目に入ってそれが当たり前になってしまう。
でも、隣の芝はきっと青いんです。
だからこそ、良いところを見つけられる人間でありたいですね。と言っても常に心がけるのは難しいので、その心構えだけでも大事にしていきたいです。

 そして、話は戻りますが、また自分自身の心情の転換期がありました、それが高校三年生の受験期でした。と言うのも、受験に向けて自己分析や、自分のやりたいことを定める必要があり、自分自身と正面からぶつかる必要がありました。(受験に関しての話はこちらから)今まで、避けてきた自分との向き合いを受験期ではほとんど毎日行っており、少しずつ自分の彩りを取り戻しつつあったのかなと思います。

そこで興味を持ったのが過去のnoteでもお話しした通り「教育」です。⇩

題名:教育に興味を持った僕

「教育」に興味を持ったきっかけは過去のnoteでも綴ったように、先輩の影響なんですね。自分が憧れる先輩が「教育」について考えていることを知って、自然と僕自身も「教育」に触れる機会が増えた気がします。しかし、僕自身が「もっと探求したい!」と思ったきっかけは、画像にもあるとおりJohn Deweyと呼ばれる教育哲学者に出会ったからです。これに関しては、これ専用でnoteを書きたいと思うので、少し語弊があるかもしれませんが簡潔に説明すると、「学びって子供本来が楽しんで行うもの!」と言う一部の彼の考えのが自分にフィットしたからです。
 でも、正直全員が無理に学問が楽しい!と思う必要はないと思います。ただ、僕自身が天文学に興味を持ったように、学問を楽しむ中で「夢」までは行かなくていいけど、生徒が「追い求めたい何か」を見つけられる経験をたくさんしてほしい!と言う気持ちが僕自身ありました。何かを好きになれるって素敵なことですし、好きなことがあるだけで心の支えになったり、表情が明るくなったり、心に余裕ができたりと、人を彩ってくれると信じています。もちろん、好きなことを追い求める過程では、苦しいこと・嫌なこと間違いなく経験すると思います。個人的にはすぐに立ち直る必要はないと思います。たまには立ち止まりながら、少しずつでもいいから前に進むことは忘れないでほしいなと思います(僕自身もです)。そして究極的には「そういえば、そんなこともあったね笑」と笑って話題にできるように、全部ひっくるめて「楽しかった」と思えるような「教育」を実施していきたいです。(教育の範囲を超越してる気がしますが笑)

この気づきは、個人的に受験期間中にあったというよりは、受験後なのかなと今ふと気づきました。もちろん、受験期で周りに流されていたと言うわけじゃなく、自分が変化していたことに気づけていなかったのだと思います!

結局少しずつで良いんですかね、というかいきなり変わろうとするのは難しいというか。プライドとか理想とかが影響して、結果ばっかり求めすぎちゃうけど、その結果を求めながらも、今この瞬間のこのシチュエーションを感じることも大切にしていきたいですね。
そろそろかけることが少なくなってきたので、今日はここら辺で、、


絵と共にと述べましたが、ほとんど文章になってしまいました笑
いかがでしたでしょうか、絵とかのイメージがあると、少し読みやすくなりませんか?


では、また✌️

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