「人材育成をせずにエンジニアを手に入れようとすること」と「負の外部性」の関係について考える
IT人材不足が続くことがわかっている日本経済の中で、常に新しい即戦力ITエンジニアを求めたくなる気持ちは短期的な経済合理性だけを考えると理解できます。
ですが、もしもITエンジニアが将来の経済活動を好転させるのに重要な影響を与えると考えるのであれば、中長期的に考えるとどう考えても国力を落とすことにしかならないだろうと思うのです。
「円安の背景は労働者のスキルの低下」という評論に対する世間の反応
そして、以下は、円安の背景は「労働者のスキルはこの20年で落ちてきている。その蓄積で日本経済の競争力が非常に弱くなってきている」という経済学者のコメントに対するTwitter内での反応です。コメントの一部を切り取られてのものだとも思いますが、その前後の文脈や、主張の妥当性の検証までは私はしていません。ですが、いいねの数や、返信の数の多さから、今の時代の気分を表しているようには思えます。
返信コメントをいくつか読むと、いかに日本の経営者が無能であり、元凶の1つであるかについて書かれているので、同意をすると経営者の端くれでもある自分にはブーメランのように戻ってくるのですが、それでも企業は育成にコストをかけないといけないと思うのです。そして、それは自社に所属している従業員だけではなく、もっと広く業界、あるいはサプライチェーンに含まれるステークホルダーの中の労働者を含めて考えていかないといけないのだと思っています。
企業における人材育成の費用対効果への批判
経済産業省がまとめているレポートではグラフから以下のことがわかります。
「日本は、企業の人材育成に対する投資だけではなく、個人の学ぶ姿勢の両方に他の国と比較すると課題がありますよ」という話なのですが、企業側の話に話題を絞ります。
企業内の人材育成に対する費用への批判の1つとして、「転職をする人に教育コストをかけることは損失である」という考えがあります。
定年、あるいはそれに準じる長さで留まる人への教育には賛成だが、短い期間の在籍だった人に対する教育コストは損失であるという主張です。あまりにも在籍期間が短いのに多額の費用をかけた場合にはどうかと思いますが、それでも全体で考えると多少のエラーがあったとしても、人材育成コストをかけていくべきだというのが私の考えです。
ただ、一部の人から執拗に教育コストの損失に対して問題提起と改善の報告を要求され、人材育成予算を増やすことが難しい場合があることも理解できます。特に自分、あるいは自部署以外で教育コストがかけられた場合には、会社全体の一員という自覚が薄く、ある特定のチームだけに帰属意識がある、またはどこにも帰属している意識がない人ほどネガティブな感情を持つようです。
企業はサプライチェーン全体に責任を持っている
製造業などは環境に関わる問題について広く社会的な責任を問われるようになってきました。2010年以降、企業の社会的責任に関するISO26000が制定され、統合報告書の標準化がつくられました。いまでは、ほとんどの上場企業がIR資料として統合報告書をつくっていて、投資家から評価をされる以上、財務面での影響が出てきます。そしてそれは、年々厳しさを増していっています。
よくある話としては、地球環境に与える影響の話が多いと思いますが、IT業界における人材育成についても、同じような構造として考えていくべきなのではと思っています。
そのためには、「外部性」という概念を共通認識として持ち、「負の外部性」に加担していないかという問題意識を持つのがよいと考えています。
企業の外部性とは
そもそも「外部性」とは何でしょうか。書籍『「企業2020」の世界:未来をつくるリーダーシップ』では、以下のように定義されています。
「正の外部性」と「負の外部性」の2種類があるようですが、例えば「負の外部性」とは、以下のようなことです。
ここでは「天然資源」に言及されていますが、「ITエンジニアの人材育成」にあてはめて考えてみたいと思います。
「ITエンジニアの育成」は外部性なのか否か
上記の企業の外部性についての記述を以下のように「ITエンジニアの人材育成」にあてはめることはできないでしょうか。
日本政府が公表しているIT系人材の推移予想は、2030年には45万人の人材不足になる予想をたてています。
(需要の伸びによって必要とされるIT系人材の人数に違いがでるので、伸びが高い・中程度、低いの3段階のシミュレーションが行われています。真ん中をとった場合の数値です)
「このままの状況が続けば、近い将来にこのような悪い未来が予測できますよ」という話は、「このまま自然を汚染し続けていくと、気候や自然環境に重大な悪い結果になることが予測できますよ」という話に構造的に似ていませんでしょうか。
昔はサプライチェーンの遠い先の企業(例えば海外にある10次請け先など)が工場から汚水を流して環境に悪影響を及ぼしていても責任から免れていた大企業がありましたが、今はそうはいきません。
あらゆる企業は、資源をすべて自力で賄っているわけではなく、外部にある天然資源や社会的資源を活用して利益を生み出しているのです。法的に問題ない範囲でお金を払っていればよかった時代は過ぎ去っていて、社会的負担を減らすことも同時にしていくことが求められていて、その大きさが存在意義の大きさの1つなのではないでしょうか。