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どこまで自分らしくあるべきか


はじめに


某Xで、公開した記事が炎上して非公開になった件を見て、自分自身が炎上したり叩かれたことはないと思うけど、「調子に乗りすぎると状況が悪くなる」というプレゼンをした事を思い出したので、その後のアップデートしようと思った。

書いてみたのは良いけど、今思い返すととても恥ずかしい(笑

どんな思い出か

2017年12月に、WACATEというソフトウェアテストのワークショップで発表したことです。2017年6月に参加した際にワークショップで賞をいただいたのがキッカケで、次のワークショップで発表する事になりました。

その時発表した内容がこちら(ダイジェスト)   

発表内容

嗚呼、ソフトウェアテストのコミュニティで、なんでこんな発表しようと思ったんだろうね・・・(恥

話した内容

エニアグラムの初級のコース受けたばかりなのに、発表内容が生意気だよねw(恥2回目

以降の内容は割愛しておきますw(恥3回目

あの時、話したこと

  • まずは自分自身を理解しましょう
    起こったイベントで、自分のいろんな反応の理由を知りましょう

  • そして、そんな自分を受け入れていけば、もっとハッピーになれるよ
    自分に合ったやり方を見つけていきましょう。
    やりすぎ注意。あんまり調子に乗んなよ。周りの状況に気づかないと周りから嫌われるし、そのせいで自分の状況も悪くなるよ。

まとめ

あの頃はエニアグラムを知って解放されたと思って話したのですが、今思い返すと、自分のタイプに囚われまくってるよなぁ・・・
ソフトウェアテストのコミュニティで、普通に考えたらこんな発表しないよ(恥4回目

あの時話したことを改めて整理

周りから称賛されたり行動が認められると嬉しいですが、特に「これが自分だ!!」って思うような自分らしさを発揮してやった行動が称賛される事が一番気持ちいいと思います。

でもね、自分らしさばかり追い求めると良くない。

一度は周りから称賛されていたことを、その後もしつこく続けていたら、周りは次第に飽きてくるでしょう。
逆に、自分が、相手のモチベーションを上げるために褒めていたのに、相手がそればっかりやっていたら「そればっかりやってもらっても・・・」とか思うことがありませんか?

その結果、周りが称賛しなくなったり、興味を失っていることに気づくと、何か注目や自分に対する刺激を得ようとして、より過激な行動を起こしたり、相手を貶めたりしようとする。

このような動機の変化が無意識に起こるため、自分自身が行動の間違いに気づくことができない。
ですので、「自分の行動は、本当に正しいのか?」といったん立ち止まる意識を持つことは大事だと思います。

行動のふりかえりを

立ち止まることができたら、行動をふりかえる。
自分のことばかり考えていないか、本当に周りが望んでいるのか、俯瞰することが大事。
どう振り返ると良いのか、まとまっていないけど、例えばこんな感じ。

  • 称賛された行動でも、称賛されなかった行動でも、自分の期待とのギャップは何か?原因は何か?

  • その行動は、どんな「自分らしさ」を満たそうとしていたのか?逆に、その「自分らしさ」を満たすために、その行動は必要なことだったのか?

  • 次の行動は、どうする?(より「自分らしさ」を出すか、出さないか)

「自分らしく」生きるために、今よりも「自分らしさ」のアクセルを踏み込むのか、それとも緩めるか判断することは、自己成長し、良好な人間関係を保つ上で非常に大事なことだと考えます。

なーんて、何を偉そうに書いてるんだかw(恥5回目

当時これを話した時の状況(余談)

前職で勤めていた会社の話。ソフトウェア開発は正直レベルが高くなく、オブジェクト指向な設計、ソフトウェアテスト(特にテスト自動化と呼ばれる領域)、アジャイル開発を経験していた自分としては、もっとその技術を高めながら、業務に貢献したいと思って転職しました。

最終的には、その部署が開発するソフトウェアは、その会社の中でも品質が高いものを提供できるようになりました。(自分が入社する前は、1ヶ月以上納入先で人質みたいな待機しなければいけない状況から、1日程度で原因を究明できるようになり、逆に納入先に感謝されるようになった)

ただ、この時はうまくいっていた気がしない。
理由は、自分の考えを理解してもらえなかったことにあるのだが
「自分の考えでやればうまくいくのに、なんでやらないの?」っていう気持ちが強かったし、相手を貶める言動が出たり、理解されない・自分が嫌だと思ったら休むようになった時期でもある。

そんな中、エニアグラムに出会い、「自分が自分らしさを認めることは大事」でも「やりすぎは良くない」と実感したこと、それらはチームで仕事する上で共通して大事だと思って発表しました。

それにしても、なんて生意気なんだろう・・・当時のことを思い返しただけで恥ずかしい・・・(恥6回目

今の自分はどうなんだろう

当時のことをふりかえるとすごく恥ずかしいのだが、一方で、今の会社に転職してから、今まではどうかと言われると、恥ずかしいと思った行動が思い浮かばない。
ただただ、自分らしさなんて抑えて、淡々と仕事している感じ。
健全な社会生活を過ごすためには、自分のタイプ以外のタイプも使っていかなければいけないので、自分らしさを抑えて仕事をしているということは人間的な成長をしているのだと思います。

ただ、ぶっちゃけ、人間的な成長している実感が湧かないけど・・・

もう少し「自分らしさ」を出して、成長を実感してもいいんじゃないかな、と思った。

「思い出し恥かしい」を肯定する

このエントリーで「恥ずかしい」を連呼してカウントしてますが、思い返せば恥かしいと思った行動の方が「自分らしく」現在を生き、自己成長する実感を持てるんじゃないか、という結論に至った。

つまり、自己成長のキッカケになるものとして、各センターの潜在的感情を肯定して、もっと潜在的感情が出るような行動をしてもいいんじゃないかと。
もちろん、「自分らしさ」や周りの状況とのバランスをとった上でですが。

自分の場合は、もっと「思い出し恥かしい」と感じる行動をとった方がいいのかもしれない。

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