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【書評】ニッポン人のブルース受容史


●日暮泰文・高地明編著『ニッポン人のブルース受容史』<Pヴァイン/エレキング・ブックス>(23)

日本初の本格的ブルース雑誌『ザ・ブルース』に取り上げられた記事を主軸に、かつて「ブルース」がどう扱われていたか、ブルース評論の成り立ちと意見の対立、レコード会社の努力、ブームを迎えた時代の熱さからどんな未来があるのかといったさまざまなテーマに基づいて、「ブルース」が語られている本である。

たとえば、洋楽に興味の無い人でも、ロックやジャズという音楽ジャンルについては、その存在ぐらいは知っているだろう。ソウル(音楽ジャンルとしてのソウルという前振りは必要かも知れないが)あたりもなんとなく、黒人の人がやっている音楽ぐらいの把握は出来ているかも知れない。しかし、ブルースに関してはどういった音楽なのか、戸惑いが先に立つような気がする。それだけマイナーな音楽である事は間違いない。

ロックやジャズを聴く人でさえ「ブルース」への目の向け方は、ブルース・ファンからすると物足りないものを感じる時がある。ただ、この考えも現代の音楽ファン事情には通用しないかも知れない。ジャンルレスが基本となり、良い音楽であればそれで良いという、ある意味偏向のない正しい音楽の楽しみ方から生まれた作品に、世の中は溢れているような気がする。

そんな、自由な聴き方が多い時代に、本書のように「ブルース」がどうやってニッポンに根付いていったかを、過去の発言を中心に纏めた一冊の意義はあるのだろうか。結局、ブルースを長く聴き続けている人が昔を懐かしむだけの本に終わっていないだろうか。

もちろん、懐古趣味に浸りたくなる記事も多い。しかし、それ以上に「ブルース」に対する熱い思いが伝わってくる。まだブルース評論家自身が音源に飢えていた頃の投稿は、思いが先に立ち、自らの意見が絶対的であるという意識に近い感情過多な文章も見えるが、それが今となっては貴重な意識に思える。情報が豊富に得られる現代は、情報のコピペに終わりかねない。逆に言うと、情報は数分でスマホから得られて音も聴けるのだから、思いの強い書き手に出会うと読む方ものめり込んで、正にその通りとか、何か違和感があるとか、自分の頭で考える方向にいきやすいのだ。今こそ、あの頃の熱気や断言する姿勢は必要だと思う。

意見の対立例をひとつ。ブルースは、古くからある音楽だけに古いブルースに漂うフィーリングこそ本物のブルースであるとか、もはやその時点で完成形であるという考え方がある。いわゆるピュアリスト的な。それに反し、ブルースの時代による変化は認めるべきであるという考えがある。ロックと融合しようが、ジャズと融合しようが、ブルースネスを失わなければブルースである。もはや、交わる事のない意見の違いと思える。だが、その「断言」が次段階の考えを生むような気がするのだ。

本書は、アーカイブ的書物として素晴らしい成果を見せているが、ものの考え方について考えさせられる好書であった。


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