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こんちゃんってこんな人。
『素直で従順なお調子者』
1言で言えばこんな感じかな。
全部長所でもあり短所にもなってる。
身長166cm 体重55kg 蠍座 B型
仕事には常に全力投球!!
お酒は基本的になんでも大好き。
誰よりも人に恵まれてきたと自負している。
趣味は特にない。
強いて言えば音楽を聞くこと。
そして、最近再結成したバンド活動ってとこ。
ONとOFFの切り替えが下手くそで常に仕事の事を考えてしまうのが悩み(笑)
最愛の妻と息子に巡り合う事ができた。
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父親になってから涙脆くなった。
特に子供達や学生さんが頑張ってる姿を見るとすぐに感動して涙腺が刺激される。
そんなこんちゃんは、24歳でバンドでメジャーデビューの夢を諦めて、飲食の世界に骨を埋める決意をする。
(高校3年間の居酒屋でのアルバイトで飲食店の楽しさを知って就職するなら飲食と決めていた)
こっからは長くなるから興味のある人が読んでね。
24歳で就職
地元で中華料理屋さんやラーメン屋さんを営んでいた幼馴染のお父さんの会社にお世話になることに。
(幼馴染には反対されたけど気持ちは揺るがなかった)
すぐに調理師免許を取得してやる気だけはしっかりと伝えることが出来たけど、飲食経験はほぼ高校時代の居酒屋でのアルバイトだけの『ど素人』。
食材の卸業務、配送、ラーメン屋さんの仕込、営業、集金、姉妹店の中華料理屋さんの補助、新規出店、タレや餃子の具等を仕込む工場の勤務や露天販売等、色々な経験を積ませてもらう中で沢山の失敗を重ねて飲食人としても社会人としても少しずつ成長させていただく。
初めての店長
25歳の時に、情熱ホルモンのFC店を出店する。
自ら店長やらせてください!と社長(現在会長)に直談判して店長をやらせてもらう。
しかし、シフトも組めない、お肉も切れない。
発注もできない。
店長としての仕事は何1つできなかった。
もちろん売上は低迷。
常に全力で頑張ってはいたが、社会はそんな甘いもんじゃない。
パートさんをシフトに入れてあげることができず、伝えた時に「生活があるのに…」って言われたときに、スイッチが入った。
本当に申し訳ない気持ちがいっぱいで悔しくてたまらんかった。
その時からかな…
誰よりも早く来て誰よりも遅く帰るを徹底した。
休みの日も出てきて仕込をしたり掃除をしたり、
できる限りのことをした。
ほんまやる気だけで何もできない生意気な若造やった(笑)根拠のない自信が凄かった(笑)
この頃は1日の労働時間は13時間くらい。
休みは週に1回あるかないか。
時給900円やったけど月給にしたら30万円ほどいただいていた。
(働いた分だけお給料を頂けていたのが有り難い)
社会保険は未加入で会社の保険証も持っていなかった。
休みの日もお店に出たりしてたから、年間330日は働いてた時もあった。
有り難い事にブームもあり一時期はすごい売上を上げてたけど、ブームも去りまたも低迷。
そんな時に幼馴染(現社長)が、会社を立て直すために戻ってくる。
(社歴は僕の方が社長より長い)
社長との約束
そして、社長と「3年後に月商400万円達成しよう!」と、約束する。(当時は200万円台やった)
そこから高校生を中心に採用を加速させ育成に力を入れた。
アルバイトスタッフだけでも10名ほど在籍していたかな… ほとんど高校生。
毎月お給料を渡すときに(当時は現金手渡し)スタッフ全員と1on1で15分ほどの面談をした。
スタッフ全員が主役で輝けるように、面談シートも社長と相談して何度もフォーマットを換えてバージョンアップしていってとことん寄り添って、話を聞いて僕も本気で話をした。
卒業する時に、僕やお店、会社に関わって良かったなぁと思ってもらえるように全力で向き合った。
今じゃ考えられないくらい熱かったと思う。
(面談で涙するスタッフも何人もいた)
「やる気無いんやったら帰れ!」って怒鳴ったのも1度や2度ではない。
しかも、30歳ほど年上の社員さんにもパートのおばさんにも怒鳴ったりしていた。
今ももちろん全力で熱いけど、昔はその熱さを一方的に押し付け過ぎていたことをとても反省しているが、有り難いことに今も深い絆で繋がっている。
同時にとても力を入れたのが『ありがとうノート』
シフトインしたら1日1つ絶対に何かしらのありがとうを書くことをスタッフ全員で徹底した。
そして1つ1つ僕がコメントを返す。
最初はやらない子もいたし、たまにしか書かへんのが当たり前やったし、「書いてや〜」って言わんと書かへんかったけど。
段々と皆書いてくれるようになり、最後はスタッフの提案で皆がコメントを返すようになった。
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えぇスタッフに恵まれていたし徐々に結果がついてきて、3年後のギリギリ3月末で約束通り400万円を達成することができた。
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本当に意味のある、本当に大事な結果。
積み重ねで、みんなのお陰でやれたこと。
これからも感謝して生きよう!
この経験が僕にとっての大きな自信に繋がる。
現在に至る
その後、僕が33歳の時に会社が串カツとワインのお店カツ男爵を立ち上げる。
オープンして1ヶ月は休みなく必死のパッチで結果を残すために頑張った。
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体重は55キロから48キロに減ってた(笑)
オープンして初めての休みの前の日の営業終わりに、いつもの焼鳥屋さんで社長と乾杯した時のビールは格別に美味かったなぁ。
そして36歳の時に餃子酒場満太郎ができて、37歳の時に業態を餃子酒場満太郎に統一。
飲食経験はほぼ高校時代の居酒屋でのアルバイトだけの『ど素人』やったけど、現在は餃子酒場満太郎のマネージャーとして、日々感謝の日々を生きている。
今では1日の労働時間は9時間台、月に8回の公休日。
週末に休むなんて昔はありえへんかったけど、今では週末でも予定があれば休みにしてもらえる。
社会保険はもちろん、有給制度もあり、家族手当や、記念日休暇など昔ではありえないぐらい恵まれた環境が整っている。
とても素晴らしい仲間達にも恵まれて、今も失敗と反省を繰り返しながらチャレンジを続けている。
昔、結果が出ないときは何度も辞めようと思ったのが懐かしい。
昔と比べたら良くなったけど、マネージャーとして僕だけが思うだけじゃあかん。未来にはもっと良い会社にしていき、僕自身も、今居てる社員達も数年後に後輩に対して現在の事を振り返りながら
「あの時は今よりもまだまだやったんやで!」
って胸を張って言えるように。
自信を持つと同時に素直さと謙虚さを持って、関わって良かったと思われる存在を目指して、毎日奮闘してる2023/3/3現在のこんちゃんです!
最後に会社の紹介させてもらいます。