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結局、人生で必要なことってなんだと思う?

「先生が、学校を作っているわけではない」


成人教育学校の「フォルケホイスコーレ」を作ったグルントヴィは、教育者であり、スーパースターであり、作家であり、哲学者であり、聖職者であり、政治家だった。

この特性から「新しいキリスト教のカタチ」を作りたがっていた。「新しい学校のカタチ」を作りたがっていた。どちらも「あなたの中に、宗教を持てるように」という意図があったようだ。ここでいう宗教って、キリスト教とか仏教とかそういうことではない。


「自分なりのどう幸せに生きていくかの指針」だと思う。

好きな言葉で「哲学は(どう生きるか?)の問いで、宗教は答え」というのがある。まさに、ひとに答えを求めるのではなく、自分の中で、自分にとっての幸せを知るための知識を得て、真剣に考えなさいよということなのではないかと思っている。

彼が生きていた時代は、すべてが変わっていく激動の時代だったようだ。たとえば、デンマークはスウェーデン・ノルウェーまでを治めていた時代があるのだけれど、それらが独立していったり、逆にドイツにデンマークの南の部分を占領され始めたり。だから実際に最初のホイスコーレは、デンマークの南の位置にあったのでいっときドイツに占領されて、ちょっと北上したという歴史も持つ。

そんな時代だからこそ、彼は民主主義が大事だと考えていた。民主主義とは「国民が、国に関わる決めごとを決定できる政治制度」のこと。逆にいうと、国に関わる決めごとは、国民が関わっているともいえる。

国の今後について選ぶ権利を持っている国民に、知識がなけば、教育されていなければ、選ぶことも決めることもできない。だから「教育」が必要だよねと主張していた。

その教育というのは「どうやって社会の一員になるか」というもの。特に、農家の子供を教育したかったらしい。今もそうだけど、昔は特に国民のほとんどが農家なのに、政治を司るのは一部の教育された上流階級のみ。そういう現状がイヤだったみたい。

同時に、彼はテストを嫌っていた。文法とか、数学とか、考えることなく「記憶するだけの勉強」を毛嫌いしていた。教育における自由を主張し、人々に「考える」ということをして欲しかった。わかるよおおおおおお(うるさい)

だからフォルケホイスコーレという場所を作った。そこでは最初から、実用的なスキルと考えること両方を教えていたみたい。テストのための勉強ではなくてね。

当初は男性のみだったので、農業的なスキルと考えることを教えていた。のちに女性のみの学校もできた。女性向けには、家事についてを実用的なスキルとして教えていたみたい。(当然、現在は男女混合。)

じゃあ「考えること」ってどういうこと?っていうと、そもそも「You have a voice.(あなたは意見を述べる権利がある。意見を言うための”声”を持っている。)」ということ。

そのためにたくさん話しましょう。意見を述べることを、好きになりましょう。議論を、楽しみましょう。そして話し合うことで、変化を起こしましょうということ。

だから、逆説的なようだけれど、「先生が、ホイスコーレを作っているわけではない」とも言っていた。先生はただ、ファシリテーションをしているだけで、学校をつくるのは生徒という姿勢なんだって。やっぱり主体性だよね。「え、ウチら学校にお金払ってるし」みたいな姿勢はクソだな。(急に過激)

わたしたちは、教育のために学んでいるのではない。
わたしたちは、人生のために学んでいる。

こういう信念が彼の中にはつよくあったようで、だからホイスコーレが「人生の学校」なんて言われたりするんだね。

いかに「自分人生の主導権を握るか」が大事だなってつくづく思うんだけれど、これについてどの学校も教えてくれないのはなんでなんだろう。せめてわたしたち大人が、そういう姿を背中で見せていかないと、いけないのかもしれないね。


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