うんざりするほど自分と向き合ったさきに
デンマークのフォルケホイスコーレ
という学校に留学している。
シュタイナー式のような特定の学校を示すのではなく、
「高校」「大学」「専門学校」みたいな
教育機関を指す言葉だ。
ホイスコーレは、デンマークに約70校あり
それぞれの学校が特色をもっている。
わたしが今いるホイスコーレは、
「意識を発展させる」ための科目を扱う学校で
(学校名にもそれが入っている)
その一環でアユールヴェーダを学んでいる。
アユールヴェーダを学び始めて3日。
たくさんの知識をつめこまれ、
毎度充実感を以って授業を終えているのだが
何を得ているの?と言われると難しい。
知識として新しい言葉をたくさん学んでいるし、
楽しいな♪という心の栄養も十分だ。
でもこの満足感を言葉にしようとすると、
これまでの「学び」から得てきた満足感とは
なにかが違う気がする。
たぶん、新しい何かを得ているというより
自分がずっとぼんやり思っていたことを
言葉にしてくれている感覚がつよいからだ。
人によっては理解し難いことかもしれないが
「そうか〜そう考えるのか〜」と思えて
すごくわたしにはしっくりきている。
もちろんこれは
「みんなも、アユールヴェーダを学ぼう!」
「フォルケホイスコーレいいでしょ!」
という話では断じてなく、わたしが言いたいのは
「私たちにはきっと、生きやすい世界がある」
ということ。
たとえ今あなたがおかれている状況が、
自分の直感では合っているのに
どうしても「そうだ」と言い切れなくて
「そうだ」って言いたいのに
自分より大きな何かに根負けしそうな場合であっても。
きっと信じて行動していたら
楽園だと思える呼吸がしやすい環境や考え方、
仲間がいる場所があるんだと思う。
わたしはずいぶん遠回りしてしまったけれど、
この遠回りがなかったら、
生きづらさを感じているひとの気持ちがわかることもなかったし、
「生きやすい場所はこの世のどこかにあるよ!」と
ひとを励ますこともできなかったとおもうから、
遠回りできてよかったなと、おもえている。
その場所をみつけたときに、「ビビビ」を感じ取れるよう、
いまはうんざりするまで自分のことを気にかけておこう。