読書感想文〜国家の品格〜
勝手にロックダウン5日目。
いよいよオフィシャルに宣言されそうである。
単純に私のロックダウンが
ただ伸びることになるので
今日は少しだけ必要な外出をしました。
5日ぶりの外出は
天気が良いのも相まって
かなり気分転換になりました。
銀行・ドラッグストア・ホームセンター
最後に毎日飲んでいた
スタバのコーヒーをテイクアウト。
顔なじみの店員さんたちが
「あ!こんにちは〜!」
と声をかけてくれて嬉しかった。
閉められないお店の人は
本当に大変だ。
久しぶりに飲んだ
スタバの濃い珈琲のおかげで
さらに気分が落ち着いた。
有難い。
こんな世の中だからこそ
読んでほしい本がある。
藤原正彦 『国家の品格』『国家の教養』 新潮新書
数学者の藤原先生が2005年に出した新書である。
大変申し訳がないが
今日のnoteは
この作品の冒頭をお伝えしたい。
<はじめに>
30歳前後の頃、アメリカの大学で三年間ほど教えていました。以心伝心、あうんの呼吸、腹芸、長幼、義理、貸し借り、などがものを言う日本に比べ、論理の応酬だけで物事が決まっていくアメリカ社会が、とても爽快に思えました。向こうでは誰もが、物事の決め方はそれ以外にないと信じているので、議論に負けても勝っても、根にもつようなことはありません。人種のるつぼと言われるアメリカでは、国家を統一するには、すべての人種に共通のもの、論理に従うしかないのです。
爽快さをしった私は、帰国後もアメリカ流を通しました。
アメリカでは改革は常に善だったからです。結局、私の言い分は通らず、会議で浮いてしまうことが重なりました。
数年間はアメリカかぶれだったのですが、次第に論理だけでは物事は片付かない、
論理的に正しいということはさほどのことでもない、と考えるようになりました。
数学者のはしくれである私が、論理の力を疑うようになったのです。そして「情緒」とか「形」というものの意義を考えるようになりました。
そんな頃、40代前半でしたがイギリスのケンブリッジ大学で一年間ほど暮らすことになりました。<中略>同じアングロサクソンと言ってもアメリカとは全く違う国柄だったのです。慣習や伝統、個人的には誠実さやユーモアの方が重んじられていました。改革に情熱を燃やす人も少しはいましたが、「胡散臭い人」と見られているように感じました。紳士たちはそのような人を「ユーモアに欠けた人」などと遠回しに評したりします。
イギリスから帰国後、私の中で論理の地位が大きく低下し、情緒とか形がますます大きくなりました。ここで言う情緒とは、喜怒哀楽のような誰でも生まれつき持っているものではなく、懐かしさとかものの憐れといった、教育によって培われるものです。形とは主に、武士道精神からくる行動基準です。
ともに日本人を特徴づけるもので、国柄とも言うべきものでした。
これらは昭和の初め頃から少しづつ失われてきましたが、終戦で手酷く傷つけられ、バブル崩壊後は、崖から突き落とされるように捨てられてしまいました。なかなか克服できない不況に狼狽した日本人は、正気を失い、改革=改善と勘違いしたまま、それまでの美風をかなぐり捨てて、闇雲に改革へ走ったためです。
<中略>
戦後、祖国への誇りや自信を失うように教育され、すっかり足腰の弱っていた日本人は、世界に誇るべき我が国、古来の「情緒と形」をあっさり忘れ、市場経済に代表される、欧米の「論理と合理」に身を売ってしまったのです。
日本はこうして国柄を失いました。「国家の品格」をなくしてしまったのです。現在進行中のグローバル化とは、世界を均質にするものです。日本人はこの世界に趨勢に敢然と闘いを挑むべきと思います。普通の国となってはいけないのです。
欧米支配下の野卑な世界にあって、「孤高の日本」でなければいけません。
「孤高の日本」を取り戻し、世界に範を垂れることこそが、日本の果たしうる、人類への世界史的貢献と思うのです。
本書は講演記録をもとに、それに大幅に筆を加えたものです。話し言葉に品が欠けていたため、ほとんどすべての文章に筆を入れる羽目になりました。品格なき筆者による、品格ある国家論、という極めて珍しい書となりました。
この書籍を私の言葉で要約するより
冒頭部分をそのまま読んでもらえば
すべて伝わると思い
この形を取りました。
長くなり申し訳ない。
最後の最後に
この作品の中で引用されている
ポール・クローデルの言葉を紹介して
終わりたい。
『日本人は貧しい。しかし高貴だ。
世界でどうしても生き残って欲しい
民族をあげるとしたら
それは、日本人だ』
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