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フィルターの調子はいかがですか【読書の話】

どうも。此島このもです。

最近、なんか、読書フィルターが目詰まりしてると感じることが多いです。

読書フィルターって何って話なんですけど、えーと、それは…

私の心の入り口にあるフィルターです。
私が本の内容を心で受け止めるとき、否が応でもそのフィルターを通さないといけないんです。

そのフィルターは当人のコンディションによって変化するもので、例えば「数年前はイマイチぴんとこなかった本が今読むと感動!」とか「この本こないだ読んだときは好きだと思ったけど今は微妙だなぁ」みたいな現象はこのフィルターの変化によって起こります(と私は思っている)。

でね、そのフィルターが、目詰まりしてることが多いなあと最近感じるわけですよ…。

私は上記のように、同じ本でもコンディションによって感想が変動することをわかっているので、もししっくりこない本があっても時間をあけて再度読んでみたりするんですよね。

ところが、最近はぴんとこないと感じるケースばかり…。
それどころか、昔大好きだった本も今ではそんなに感動しなかったりして、微妙なんです。

なんでそんなことが起こるのでしょう。
やっぱり読書フィルターが目詰まりしてるんじゃないかなあ。

でもね、同時に思うこともあって、それは、フィルターを目詰まりさせているものは何なのかって話。

フィルターが目詰まりしているのは、私がいろんな経験を積んだ証なんじゃないのかなって思うんです。

目に詰まってるのは、まさに私の積み上げてきた経験そのものなんじゃないかって気がするんですよ。

子供の頃は経験が少なかったのでダイレクトに本の内容が心に入ってきて、その分感動も強かったんですよね。

でも今は、何年も積み重ねてきた自分の経験がある。それが私に自信とか、よりよく生きるための方法とかをもたらしてくれている。
そして同時に、心の中に入ってくる物語を珍しくないもののように見せてもくる。

子供の頃にびっくりした大どんでん返しの物語も、今同じものを見ても感動しない。
人が成長するとはどういうことかを教えてくれた冒険譚も、何かを失う悲しみとそれを取り戻す喜びを教えてくれた物語も、自らを犠牲にするほどの愛の物語も、腹わたが煮える感覚を教えてくれた復讐譚も、そういうものを今見ても、全く知らなかった子供の頃に比べたら感動しないんです。
だってもう知っている(読んだことがある)んだもの。

ただ、経験には良い面もあって、

経験が私のフィルターを大きくしてくれる側面もあると思うんですよね。

たとえば、私は猫を飼い始めてから小さい生き物とか人間に寄り添ってくれる生き物が出てくる物語でわんわん泣くようになったんですよね。

自覚したのは『風の谷のナウシカ』の漫画版を読んだとき。漫画版を読んだことのない方のために詳細は伏せますけどナウシカを慕って限界を超えて頑張ってくれる健気な動物とかが死んじゃってボロ泣きしました…。なんで生き物って死んでしまうの…?

でもね、猫を飼う前はそのシーンもスルーしてたんですよ私は。
猫を飼った経験が私のフィルターに新しい穴を開けてくれたんです。



…んー…ということは、経験はフィルターを目詰まりさせるものではなく変化させるもので、私が今読書してもぴんと来ないことが多いのは本のチョイスが間違っているからなのでしょうか…?
今の私のコンディションに合っていない本ばかり手に取っているからしっくり来ない、のか…?


うーむ。なんだかそんな気がしてきました。
よし、ぴんと来ない古い本は手放して、新しい出会いを大切にするぞーーーー!

って何度決心したら本当に本を手放せるようになるのでしょうか。もうnote内の記事だけで2、3回こういう決意してる気がする。

まあでもちょうど年末なので気持ちを切り替えて前進するのには良い時期ですよね。せっかく片付けする気になったんだからその気持ちに水をささずに尊重しようと思います。

皆さんに良い読書体験がありますように!


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