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王道以外の幸せを選び続けられますか
自慢しちゃうけど、わたしは今好きな仕事をしながら、家賃40万近くのぴかぴかのタワマンで、京大卒の賢い男の子ふたりと一緒に、何不自由なく暮らしています。えっ、ネットワークビジネスの勧誘かよ〜。違います。
でも、わたしの視床下部はポンコツなので、それでも幸せを感じられない日が結構多い。そんなこと言ってると地獄に落ちるぞ! 嫌だ〜、もう言わないから許して。
第一志望の高校や大学に合格しても、入りたかった会社に内定をもらっても、好きな人と結婚しても、そのたびに「うわっ、まだ生きるの嫌なの?」と気づき、驚くばかりの人生だった。アホ。そういうのは、なにかの達成とは別のところにあるんだよ。
結局なにしても生きるの嫌なままなんだったらもういいじゃん! とはならないのが不思議なところで…
貪欲に、より一層の幸せを追い求めてしまう。一層の幸せってなに? 自分で考えて、手に入れるのが正しいと思ってる。でも結局、人はオーソドックスな幸せを求めてしまうのでは? と思うこともある。
最近、『ぼくたちの離婚』という漫画を読んだ。子どもを持たない約束で結婚した、いわゆるDINKsの夫婦の話。結婚6年目にして、妻が「子どもを持ちたい」と心変わり。夫はこぼす。「子供が欲しいなんて言いやがったんです」と。いや、妻の心変わりも夫の憤りもどちらもすごくよくわかるなあと思ってしまった。
作中には、映画『キル・ビル』が出てくる。「ビルが最後に元恋人を殺そうとした理由は、かっこよかった彼女がつまらない市井の主婦になろうとしていたから。僕は彼の気持ちがよくわかる…」と。くーっ。そうだよね。
わたしだって、好きな人にはかっこいいままでいてほしい。そして、彼にとっての100パーセントの女の子でありたい。だから、これからも「結婚式を挙げたい」とか、「子どもが欲しい」とか感覚が違うと思われることを言いたくない。どうしても「えっ、僕が結婚した女の子と違うよ!」と思われたくない。
でも、来月夫の弟の結婚式に招待されて。会場を尋ねたら、「軽井沢高原教会」だと。
軽井沢高原教会。聞いた途端、うらやましさのような感情が胸に広がって、びっくりした。えっ、うらやましい? わたし、結婚式はしないって散々言ってたのに。自分でもしなくていいと思っていたのに。
なにがうらやましいんだろう。ドレス? 祝福されること? ずっと憧れていた軽井沢高原教会だから? 今まで人の結婚式に行っても、めでたいだけで、うらやましいとは思わなかったのに。
夫の弟たちは、わたしたちと違って、何年も付き合って、きちんとあいさつもして、結婚式をする。子どもも持ちたいと考えているみたい。将来、きっと祝福され続ける。わたしは?
(わたしたちはまだあいさつもしていない)(自業自得)(彼に面倒だと思われたくなかった)
祝福されることの少ない人生。自分で選んだわけだし、その選択に祝福が少ないことは関係ないのでは? と思いつつ、やっぱり少しさみしい。圧倒的に王道っぽい幸せを前にして、信じてきたわたしなりの幸せがゆらぐ。
結局オーソドックスな幸せを求めてしまうのか。
ところで、結婚式って男の人は面倒なんじゃないの? 人によるだろうけど、女の人にしたいって言われたからするパターンが多いと思っていた。思っている。
きっとわたしがうらやましいのは、「軽井沢高原教会で結婚式を挙げたい」と言える、義弟のパートナーなのだ。
結婚式なんて、お金も時間もめちゃくちゃかかる。自分たちのために人を呼んで、お金を集めて、半日くらいもらって。わたし、そんなに祝福される自信がない。まんなかでうつくしく笑っていられる自信がない。かわいさは関係ないはずなのに、ここでも出てくる「かわいくないし」。呪いにかかってしまっているね。あんなブス、ドレスを着てどうするんだ…と思われそうでこわい。
いきなり自信がつくのは無理だから、今世では無理だろうな。結婚式をする自分を許してあげられない。結局、したいかと聞かれたらしたくない。
「かわいくないし」の呪いに話がそれたけど、わたしはパートナーに希望を言える彼女がうらやましい。パートナーの愛を信じられてうらやましい。人を集めて、結婚式をして祝福されるだけの自信があって、うらやましい。(自信があるからじゃないよ〜って言われそうだけど)
結婚する・しない/指輪を買う・買わない/結婚式を挙げる・挙げない/子どもを持つ・持たない/家を買う・買わない…
「これが幸せだ!」と選んだはず。なのに、オーソドックスな幸せを目の当たりにして、時々これからも揺らぐのだろう。選ぶタイミングは、一度だけじゃない。選び続けないと、選べないのだ。
子どもに関しては、ふたりとも出会った日に現代思想の反出生主義の号が本棚にあるのを見て話し合っているし、今も全く持つ気はないけど。それでも「いつか変わるかもしれないよね」とは話したことはある。
自分で、自分のはじめて湧いた感情に驚くとき、おもしろいなあと思う。あーわたしもこんなこと思うんだ、こんな願望があったんだ、と。ひとりだったらひとりで考えて軌道修正をすればいい。チームで生きていたらチームメイトと話し合って、どちらに進むか決めたらいい。
結局のところ、彼といられなくなることが暫定的に一番の不幸。嫌われたくないから…と相談しなければしないで、ある時を境に一緒にいられなくなってしまう。それは何としてでも避けたいから、フェイタルになりそうな問題はよく相談している。
いつも投げ出さず理性的に一緒に考えてくれて、心強い。
義弟の結婚式は来月。いざ、行ったらどう思うのかな。ああ、でもまず、彼と一緒にクリスマスの軽井沢に行けるの、楽しみだな。また来月、更新します。
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