タロちゃん
髪を切った。
洗面台の前で、
安いカットバサミを使って、
バッサリ切った。
そうする他に無かったからである。
『人は、思い込みでヒトを認知する』
大学時代、心理学の授業で教えて貰った。
だから、私の髪が長いと信じているタロちゃんは
私を見つけられないと思った。
大胆に切った髪は上手く整えられるはずもなく、
毛先もバラバラでヘンテコだった。
でもそんなこと構わなかった。
私はお母さんの持っている
ツバの狭い麦わら帽子を被って、
それからマスクをして、家を出た。
タロちゃんは今日、恐らく
遊園地に行っている。
誰と行ってるかは、知らない。
でも、今日が
絶好のチャンスであることに間違いない。
なんとなく、直感というやつが働いたのだ。
朝と昼の間。
サラリーマンは既に
出社していて電車は比較的空いている。
私は網棚に鞄を置いて座ると、
今日タロちゃんに
送ったメッセージを確認した。
未読のままになっている。
タロちゃんはいつも素っ気ない。
出会った時は、そんなこと無かった。
私たちは所謂『合同コンパ』
と呼ばれる会で出会ったのだ。
私は“そういう場所“に慣れていなかったので
静かに笑って誤魔化すだけで
時間が過ぎてしまった。
自分から話もしなかったのに、
タロちゃんは私の連絡先を聞いてきた。
それから、消極的な私に連絡をくれるのも
遊びに誘ってくれたのもタロちゃんだったのに。
電車はのんびりと揺れている。
私はチラッと腕時計を見つめた。
タロちゃんがくれた、
最初で最後のプレゼント。
タロちゃんが素っ気ないと気付いて、
浮気を疑ったら慌てて買ってきた腕時計。
私はそんな物を求めていなかったのに。
案の定、程なくして
タロちゃんの連絡は途絶えた。
『次はー海辺町遊園地ー。海辺町遊園地ー』
目的の駅に到着する。
私は網棚から鞄を取って、
電車が止まるまで扉の前に立っていた。
ホームに降りると、ほんのりと磯の香りがした。
この駅はいつもそうである。
港からは少し離れているのに、
湿気が多い感じがするので不思議だ。
遊園地は駅からすぐ側にある。
タロちゃんは、きっとそこにいる。
平日だから、人は少ない筈だ。
タロちゃんが誰と遊園地に行っているのか
真実を知るには絶好のチャンスだ。
私は改札を出て右に曲がり、
入り口まで少しだけ歩く。
確かにタロちゃんはモテると思う。
明るいし、誰とでも話せるし、
顔だって二重でぱっちりしている。
だから、初めて会った日に
私のことを可愛いと言ってくれたのが
本当に嬉しかった。
私は結局、あの日から
タロちゃんのことが好きだったのだ。
その時点で私は負けていたのだ。
ゲートに着くと、受付係が1人いて
その横に券売機が並んでいた。
私は迷わず入場券を買った。
乗り物に乗る予定は無いので、
乗り物券が付いていない1番安いやつだ。
それから私は受付係のお姉さんに
チケットを見せて、中に入った。
もし、タロちゃんが他の女の人と
一緒にいたら、どうしよう。
上手く話せるだろうか。
タロちゃんは話が上手いから、
きっと誤魔化してくるに違いない。
マスクに少し隙間を作ると深呼吸して、
スマホを再び開いた。
ホーム画面は、
相変わらずタロちゃんのままだった。
私が撮った、1番お気に入りの写真だ。
「よし」
右と左をキョロキョロしながら、
タロちゃんの姿を探した。
メリーゴーランドやお化け屋敷がある。
小さな遊園地なので、
1つ1つは規模の小さいものだった。
昔ながらのアトラクションばかりで、
遊園地全体が閑散としていた。
今の小さな子は
大きなテーマパークばかり
行っているのだろうか。
私は小さな遊園地も嫌いじゃない。
すぐに溶けてしまう不思議なソフトクリーム。
名前も知らないマスコットキャラクター。
楽しい思い出が、カラーのまま頭を駆け巡る。
1つだけ。
タロちゃんに、
遊園地へ連れて行ってとお願いした時
眉をひそめたタロちゃんの顔。
あの時の思い出だけが、
何故だかモノクロだった。
左右に見回すのを辞めて正面を見た時、
私は思わず立ち止まった。
正面の大きな観覧車。
斜め左辺りに、見慣れた人影を見つけた。
間違いなくタロちゃんだ。
鼓動を早めながら、
観覧車の方に近付いた。
タロちゃんは、
私に優しかった。
だから、1番見つけやすい乗り物に
乗ってくれたのだ。
タロちゃんと、
もう1人いるのは女だった。
確信と共に絶望した。
だけど、もう引き返す気にはならなかった。
幸いタロちゃんは私の存在に気付く気配が無い。
見知らぬ女と楽しげに向かい合っている。
私は観覧車の真下で待ち構えた。
赤いスカーフを巻いたお姉さんが
やる気なさげに近付いてくる。
「乗られますか」
私は小さく「いえ…」と呟き、
それからお姉さんに怪しまれないよう
少しだけ距離を取った。
ここから見る観覧車が大きすぎて
タロちゃんが今どこにいるか分からない。
だけど、恐らくもう半分は超えた。
あと少ししたら、
ようやくタロちゃんに会えるのだ。
マスクに隠れている口元が、
嬉しさで少しにやけた。
遠くの方から、
警備員らしき人が数名で歩いてくる。
遊園地の巡回だろうか。
私の側までやってきて、
その人たちは立ち止まった。
「川中真美さんですね?」
「え?」
時間が止まったかと思った。
「ワタクシ、こういう者です」
数名の男がピラミッドのように立ち並ぶ。
先頭に1人。後ろに2人。
1番前の男が出したのは、警察手帳だった。
「…え、なんですか」
予期せぬ事態に思考が追いつかない。
「今日、この遊園地へ
来られた理由を聞いても?」
後ろにいた1番若そうな男が、私に問いかけた。
「彼が、浮気していると思って
追いかけてきたんです。
そしたらやっぱりしてました。
今から観覧車を出てきます。
そしたら私、彼に」
「その『彼』から我々に連絡がきたんです。
今日が絶好のチャンスになると」
観覧車が、容赦なく回っている。
もうすぐタロちゃんがやって来る。
「なんで…」
「ストーカーで被害届が出ています」
ストーカー。
私が…?
観覧車から、タロちゃんと女が出てきた。
もっと楽しげに嫌味ったらしく
歩いて来ると思ったら
神妙な面持ちで近づいてきた。
私が今日ここに来るのを、
まるで知っていたかのように。
「違います。私ストーカーじゃありません。
この人が浮気したんです」
私はタロちゃんを指差した。
「そもそも、この人は俺の姉ですけど」
今度はタロちゃんが、親指で隣の女を指差した。
でも。
そんなはずない。
だって、今日の遊園地楽しみだねって。
メッセージでやりとりしていたのを見たのだ。
パソコンから私はいつでも見れるのだ。
それはタロちゃんの浮気を見つけるために
仕方なくやったことなのに。
「川中真美です。この人が」
タロちゃんの顔に、
情のカケラも見受けられない。
「なんで、タロちゃん。
私はずっとタロちゃんが
素っ気なかったから心配して」
「タロちゃんって誰」
タロちゃんが、口の端を歪ませている。
「俺の名前、知らないだろ?」
タロちゃんは、メッセージのプロフィールに
『タロ』と書いてある。
だから私はタロちゃんと呼んだ。
タロちゃんだと、思っていた人が
急に別人に見えた。
「じゃあお話だけでも聞かせて貰いますね」
警察が、妙に優しく話しかけて来るのが
釈だった。
それよりも。
疑問が浮かび上がる。
「なんで、私が今日遊園地に来ることを
知ってたの?誰にも言ってないのに」
目の前にいる男は憐んだ目で私の腕を指差した。
「その腕時計。
あんたがしつこく会いに来るから、
怖くなって渡したんだ。
そこにGPSが入ってる」
姉だという女が、半歩前に身を乗り出してきた。
「遊園地は、貴方がメッセージを見てるんじゃないかと思って、わざと仕掛けたの」
女は勝ちを悟ったように
両腕を組んだ。
「そんな」
警察が、私の背中に触れた。
「待って、渡したいものがあるの!」
警察が容赦なく背中を押して来る。
肩にかけていた鞄に当たって、
鞄が地面に落ちた。
鞄から、渡そうとしていたものが
大量に飛び散った。
今朝バッサリ切った、私の髪の毛だった。
挿絵提供:みゃーむょん
https://instagram.com/wimwim_1616?igshid=19vy09eq7j66n
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