「繊細さんと非繊細さん」異なる視点からの共生
「繊細さんと非繊細さん、どちらが良いのでしょうか?」
繊細なお子様を持つ親御さんとの間に出た話題です。
繊細さんは、細かいことに過剰に気を使ってしまい、自分自身が疲れてしまうことがあります。
気づかない方が、それほど負担を感じないかもしれません。
親としては、子供が苦労している姿を見るのはつらいですが、その反面、他人に対する優しさがあり、配慮が出来ます。
気が付かないままでいることも幸せかもしれませんが、その一方で、周囲からどう見られているかはわかりません。
これって、一概に正解はないと思いませんか?
繊細さんは、気が付く=気にしすぎる
非繊細さんは、気が付かない=気にしない
だとすると
非繊細さんは、寛容なのかもしれません。
彼らは自分が気にならないからこそ、気が付かないことがあり、繊細さんが不快に感じることも受け入れてくれると言えます。
一方、繊細さんは自分が気にすることなので、相手も同じように気にするだろうと考えがちです。
そのため、相手が実際には気にしていないことに気づかず、無駄な疲労を感じてしまいます。
私自身HSPなのですが、HSPだと気づくまではしんどい思いをしていました。
気が付かない意味が理解できず、自分にとっては気を配ることだったり、気遣いは『当たり前』の事だったので
世の中にはこんなにも、デリカシーがない人が多いのかと悩んでいた時期があります。
自分が繊細さんだと認識してからは
相手や周りの具合に合わせて、気が付いても気が付かないふりをするようにしました。
そこに繊細さんがいて気を配りすぎていたら手伝うし、気にしない人たちだったら、それ以上に何もしないと決めて、
最初は少し罪悪感みたいなものもありましたが、
これをしたら自分がしんどいだけだと思う事はしない
と、そんなスタンスで振舞うようにしていたら、私の周りにはより動く人が集まり、良い循環が生まれました。
それって、ただ自分が気を使いすぎてたり、やらなくていい事まで全部やっていたりするだけなんですよね。
誰かにやらせるというスタンスではなく
信用して任せるというような気持ちでいる事で良い循環に変わるのだと感じました。
根本的に、気づかない人に気づけと言っても、何にどう気づいたら良いのか、何が気づいていないのかもわからないので、
お互いが言葉が通じない感覚もあると思うんです。
これはどちらが良い悪いではないけれど、気づくことができる方が、よりコミュニケーションが取りやすいのではと思いませんか?
繊細さんというのは、心が繊細だから傷つきやすいではないんです。
勝手に気にしすぎて疲れやすいのです。
もし、自分が繊細さんだと思うのであれば自分が思っている以上に他人は気にしていないし、気付いてもいないと思ってみるだけでも少しは気持ちが楽になると思います。
そして、自分の方がコミュニケーション能力が高いのだと思って相手をじっくり観察して主導権を握って見てください。
HSP気質は強みであり武器になります。
結論、どちらも善し悪しがあり、どちらが良いとかではなく共存する事が大切だという事です。